シリアで23年暮らし現地結婚した私が感じたこの国の「寛容と疲弊」

故郷に戻れない人々、いまだ遠い解決
山崎 やよい プロフィール

寛容に生きること

日常で何気なく示されたシリア人の寛容さは、今でも私の心のなかに残っているが、その中でも忘れられないエピソードがある。

ダマスカスからアレッポまでの長距離バスに乗った時の話だ。ダマスカス、アレッポ間のバス料金は当時150ポンド(約300円)、中継地のホムスまでは100ポンドであった。

チケットを買ってバスに乗って出発を待っていると、4〜5人の人々が運転手と交渉している声が聞こえてきた。彼らは身障者で、生活困窮者でもあるようだ。

〔PHOTO〕gettyimages

彼らのリーダー的な男性が、アレッポまで行く用があるのだが、一人分のバス代として100ポンドしかない。なんとかこれで乗せてくれないだろうか、と嘆願する。

運転手は事情を聞き、即座に「ああ、いいですよ、乗ってください」と快諾した。

隣にいた助手が、「いいんですか?会社にはなんて報告するんですか?」と聞く。

運転手は「ホムスまで、とでもしておけばいい。俺に任せろ。お客さんが、気の毒じゃないか。乗るのを手伝ってやれ」と返答した。

周囲にいた乗客も、それに同調し、そうだそうだ、乗せてやれ、と唱和する。身障者の人々は感謝しながら、バスに乗り込んだ。

 

他の「先進国」であれば、この運転手の裁量は、ビジネス的には「誤魔化し」とみなされ、会社のルール違反で罰せられてしまうかもしれない。

しかし彼にとっては、目の前にいる人が困っているのだから、自分の責任で判断を下すのは、至極当然のことだった。私は胸が熱くなった。

ルールは原則ではあるが、人間が生きて行くなかでは、それからはみ出す事情が必ずや出てくる。そしてそれに裁量を加えることができるのが人間でもある。それによってルール以上の調和と暖かな空気が生まれるのだ。