シリアで23年暮らし現地結婚した私が感じたこの国の「寛容と疲弊」

故郷に戻れない人々、いまだ遠い解決
山崎 やよい プロフィール

シリア人女性に感じた知性と教養

シリアでは、社会進出をし、責任のある地位につく女性、医者やエンジニアなど、高度の専門技能を要する職につく女性は普通に存在する。彼女らは知性的で、自分の仕事に誇りを持つ。

しかし、このような女性とは別に、伝統的な環境の中、家庭に留まる女性も、もちろん多数いる。

彼女らは賢明に家事を切り盛りし、この社会の美徳である客人のもてなしを、満面の笑顔とともにテキパキとこなす。彼女らの家の台所には、客人がいつ来てもいいように、手製の保存食などが常備されている。

私は客員研究員としてアレッポ博物館に所属し、ここで学芸員をしていたシリア人の男性と結婚したことから、シリアの伝統的な大家族の一員となることになった。

当然、姑、義姉妹、義兄弟の妻たち、と多くの女性と知り合うことになったが、その中でも夫の弟嫁にあたるリメは、気さくで働き者、現地の習慣を何も知らない私を冷やかしながらも、常に気にかけてくれていた。

彼女はアレッポ近郊の村の出身で、学校教育を受けなかったが、家事の切り盛りは一流で、手作りの家庭料理は天下一品だった。

「私は、文字は読めないけど、もし今100人のお客が来ても、全然平気よ。常に用意ができているから」といつも言っていた。

彼女の夫はダマスカス高等裁判所の顧問を務めたこともある判事で、客人にも高位の人が混じることもあったが、彼女は臆することなく接していた。

彼女だけではない。農家のおかみさんや、普通の家庭の主婦に、生活を運営していく上での知性、教養を何度感じたことだろうか。

 

私のシリアでの原風景

シリア在住時には遺跡の発掘調査などの関係で、1年のうち、数ヵ月を村落地域で過ごすことがよくあった。

その中でも、最も長く滞在し、また私のシリアでの原風景ともなったのが、ユーフラテス川岸の村、テル・アバルである。

日干し煉瓦の家、土埃を立てながら行き来する羊の群れ、砂州の向こうに滔々と流れるユーフラテス川、緑の綿畑の中で働く娘たちの鮮やかな服の色。これら全てが私を異次元空間にいるように感じさせたものだった。村での日々は、川から水をあげる単調なポンプの音とともに、緩やかに流れた。

テル・アバルからユーフラテスを臨む(筆者撮影、2003年)
ユーフラテス川沿岸の村の子供たち(筆者撮影、2010年)

テル・アバル村の遺跡のすぐ脇にハッジ・シュッワークの家がある。

発掘は朝5時に始まるが、朝8時ごろになると、彼の女将さんや子供たちが、毎日私たちに朝食を運んできてくれた。頼んだ訳ではない。

彼らにとって、私たちは都会から来た「客人」で、このくらいのことをしないと恥になると思っている。「発掘隊長」である夫は、いつも形式的に遠慮するが、「これがアラブ風のもてなしだ」と最終的にはそのもてなしを喜んで受けた。

5年間、毎年約3ヵ月間この遺跡の調査を行ったが、文字通り毎日朝食が運ばれてきた。

焼きたてのホブズ・サージュ(薄いパン)、自家製のヨーグルト、とれたてのトマトやキュウリ。炎天で少し参った体に、甘い紅茶がなんとも言えず美味しい。

ふと視線を上げると、遺丘の向こうに青いユーフラテス川がゆったりと流れる。

初めてこの村に娘を連れて行ったのは、彼女が3歳の時であった。最初は少しおどおどしていた彼女も、いつの間にか村の子供たちと一緒に、村のあちこちで遊ぶようになった。

村の女将さんたちの気配りはもちろんのこと、わんぱくな男の子たちでさえ、娘の世話を焼きたがった。娘はこの素朴なコミュニティーの中で、当然のように守られ、叱られ、愛された。

村人たちは素朴で、ときに思慮深く、また機知に富んでもいた。村には政府から任命された「村長」がいたが、実際の村での采配は我々の世話を焼いてくれたハッジ・シュッワーク一家が仕切っていた。村は、自ら機能する術を知っていた。