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わずか4日間で消えた、福岡県「幻の村」複雑な裏事情

住民たちのデモが起こり…

7万から2千までに減少

1都1道2府43県。この47の区割りは明治期にはほぼ今と同様に整備され、その後「東京府」から「東京都」への移行などはあったが、1世紀以上、大規模な変化はなかった。その一方で、「都道府県」を構成する「市区町村」は、激動の歴史を辿ってきた。

遡ると、江戸時代には現在とは比較にならないほど多くの町や村が存在しており、とくに「ムラ」の数は多く、7万ほどあったといわれる。明治期、そのムラが1万5000ほどに整理されたのを皮切りに、市区町村は数々の合併を繰り返してきた。

とくに大正から昭和初期にかけて、都市部の発展に伴い、市街地化した郊外の町村が合併するという動きが活発になる。新宿や渋谷が東京市に合併されたのもこの頃である。

戦後には村が減少し、ほとんどが市か町になった。こうして出来上がった3000市町村体制が続き、平成の大合併により2000ほどになり、現在に至る。

新しい市の発足や合併が繰り返されるなかで、短命に終わった市区町村もある。最短は福岡県宇島市の4日間。この市が4日間しか存在しなかったことの背景は複雑だ。

 

戦前、宿場町として栄えていた福岡県の八屋町は1935年、石炭積み出し港として勃興してきた宇島港を有する宇島町を吸収合併した。しかし、その八屋町も昭和の大合併が各地区で起こるなか、1955年、他の町とともに合併され、新たな市に加わることが決定する。

ここで問題になったのが、新しい市の名前だ。JR日豊線の宇島駅や宇島港の知名度の高さから、「宇島市」となることが決まったが、八屋町からすれば、一度は吸収した「宇島」の市民となることに我慢ならなかったのだろう。

八屋町の住民は新市に加わらない「分町」を主張し、住民たちはデモ行進して抗議。そのため一度は、「宇島市」として発足したものの、翌日の市議会で市名を改称することが決定した。宇島市はその3日後に、豊前市と改名されたのである。

『週刊現代』2018年6月16日号より