――カルチャーから未来を考えることができる。
テクノロジーの話をやめると、みんなずいぶん楽になるんですよ。考える幅が広がるし、より本質的なことを考えなければいけなくなる。
未来の種を今の現実の中から探さないといけないので、今の現実をより注視するようになりますし。幻想の未来を考えるより、こっちの方がよっぽどイマジネーションが動くんですよ。
たとえば、「昔は飲み水って買ったりしなかったよな」とか、「昔はスーツにスニーカーなんて履かなかったよな」とか、そういうことでよくて、そういううっかりすると見過ごしてしまう変化の中に、大きな変化の潮流はひそんでいて、それがどういう変化だったのかを考えると、その先にどんな趨勢があるかを考えることができる。
するとリアリティを持って未来というものを考えられるんじゃないかって思うんですよね。
――ガワの話ではなく中身の話をしよう、ということですよね。
ですね。結局ハードウェアの話なんですよ。テクノロジーの話って。ソフトが大事、とか言いながら、みんな結局ハードに期待してるわけで、それがバイアスなんです。
――メディアにしてもテクノロジーにしても「業界」という視点から発想を考えがちなところに問題があるのではないかと思うんですが、どうでしょうか。
それはたしかにそうですね。そこに縛られちゃうと自由に発想ができなくなることはあるんだと思います。ただ、じゃあ闇雲に業界を飛び出して別の事業をやれ、というのも土台無理無体な話なんですよね。
最近、もうちょっとみんな心した方がいいんじゃないか、と思うのは、自分の産業を他人は救ってはくれないということなんです。
「映像業界はもうダメだ」と言っている映像業界の人たちが、漠然と「VRが来たら救われる」みたいなことを思ってたりするわけですよね。
つまりはハードの更新が自分たちを延命させてくれるみたいに考えてる節があるような気がするんですが、そんな救世主ってハッキリいって来ないですよ。
自分たちが面白いことをやって、頑張ってサヴァイヴしようとしないかぎり業界は死ぬわけで、そこの自助努力を蔑ろにしすぎだと思います。
「業界」というのは、それ自体が旧エスタブリッシュメントであるんだけれど、ちゃんと意見を言い合って、知見をシェアしあう場所があっていいんです。
それも、スーツのオッサンが集まる業界団体じゃなくてSXSWっぽい感じであっていい。SXSWって、基本的には勉強会なんですよ。
知見をシェアしあう。そういうことをもっとやったらいいんじゃないかと思います。