「音楽がわからないやつは世の中のことがわからない」と僕は思う

道を切り拓こうとするすべての人へ
柴 那典 プロフィール

日本では見えなくなってしまったもの

――仰るとおり、特にここ20年、音楽は様々な面で社会の変化の先端にあったと思うんですが、その中でも若林さんが特に印象深いと感じる変化はどんなものでしょうか。

端的に言って、みんながブログを書いて自分で発信できるようになるとか、そういう「表現の民主化」という事態が最初に起こったのは音楽だと思うんです。遡ると70年代後半や80年代から、そういうことが起こりはじめていた。

US版『WIRED』の編集長をつとめていたクリス・アンダーソンは、強面なところもあるんですが、基本的にはナイスないいヤツでして、彼は80年代初頭のワシントンDCで大学時代を過ごし、当時華やかだったDCパンクが勃興する現場のなかにいたんです。

そこはDIYカルチャーがハードコアな形で表出した現場で、4トラックのMTRでレコーディングして、自分たちでフライヤーを作ってコピーして配っていた。

そこでクリス・アンダーソンはバンドをやっていたそうなんですが、彼らのバンドと全く同じ名前のバンドがジョージア州のアセンズにいて、どっちがその名前をとるかというバンド対決をしたら、メタメタに負けてバンド名を取られちゃったと言うんですが、なんとその相手というのが「R.E.M」だったそうなんです。

「あいつらすごかったんだよ!」みたいなことを言っていて、僕はその話がめちゃ好きなんです。

 

――いい話ですね。

彼は『MAKERS』でメイカーズムーブメントという概念を世の中に提唱して、デジタルの世界で起きた民主化がハードウェアの世界でも起きるんだという話をしたんだけれど、その彼が「DIY」の基本をどこで学んだというと、DCパンクの時代にバンドを通して学んだって公言してるんです。

そこから10年、20年経って、当時の音楽で起きたことが、インターネットで、そして今はビジネスの世界で起こるようになったというわけです。

アメリカのスタートアップ・シーンは、今となっては感じ悪いところもいっぱいあるんだけれども、根っ子にはそういうマインドがある。パンクバンドがエスタブリッシュメントに中指立てるために自分たちでいろいろ工夫して活動するという。そういう根っこがあるというのはいい話だし、信頼できるじゃないですか。

――パーソナルコンピュータの歴史を振り返っても、60年代のサンフランシスコにあったヒッピーのマインドがルーツの一つにありますよね。それを象徴するのがスチュアート・ブランドだったりしました。

そういう流れが脈々と生きていて、文化的な遺伝子がちゃんと流れている感じがするんです。

日本はデジタルテクノロジーがそれ自体として入ってきたので、根っ子にあったヒッピーっぽい考え方やパンクのDIY精神との接続が、うまくいかないまま広まった感じはあって、それは残念なんですよね。

日本でもいわゆるサブカルチャーがどう継承されて、どうデジタルカルチャーに接続されていったのかをちゃんと見ていくと、そこには面白い系譜がちゃんとあるんじゃないかとは思うんですが、インターネットやデジタルカルチャーが一般化したあたりから、それが本当に見えなくなっているような気はするんです。

丹念に見ていくと、もっと意義のある水脈が、そこには流れてるようにも思わなくもないんですが。