コンビニ従業員やタクシー運転手に「過剰な負担」を強いる日本の未来

「フィンテックの社会的費用」とは何か
松岡 真宏 プロフィール

「社会的費用」という考え方

1974年、一冊の本が刊行され話題となった。東京大学経済学部教授の宇沢弘文氏が著した『自動車の社会的費用』。モータリゼーションが消費者の生活を変え、自動車産業が日本経済を牽引し始めた時期、全く異なる視点で自動車の抱える問題点を指摘した名著である。

宇沢氏は、当時社会問題となっていた排気ガスによる公害や交通事故死の社会全体のコストを見積もり、それを「自動車の社会的費用」と定義した。算出された金額は、自動車1台あたり200万円だという。

自動車の社会的費用と同様に、いま我々は、今後大きく世の中を変えると期待される「フィンテックの社会的費用」を考える必要があるのではなかろうか。

photo by iStock

現在使用されている現金やクレジットカードやスイカが一瞬で消滅し、新しい仕組みに収れんされる格好で1つか2つの支払い方法に限定されるという変化であれば、社会的コストはサービス業各社の設備投資だけである。これとて決して小さな痛みではなく、フィンテックの進展に対応するための設備投資に耐えられない中小企業にとっては大きな負担であり、ある種の社会的費用と言える。

中小企業が設備投資負担で次々と存在を否定されれば、各業界の競争状況は緩和される。競争の緩和は商品やサービスの価格上昇圧力となり、消費者やユーザーが得ていた利益は、産業側で生き残った大手企業へと移されることとなる。

ただ現実的には、現金やクレジットカードで支払う消費者が、急にいなくなることはありえない。現在使用されている支払方法を温存したまま、新しい支払い方法を次々と付加していくことは、サービス業の末端を担う人々の悩みをさらに大きくしていく。

フィンテックを駆使した消費者一人一人の利便性の追求は、はたして社会全体の便益が拡大する方向に向かっているのであろうか。サービス業の末端を担う人々の苦労の増加が、消費者の利便性の亢進と対になっているだけであり、単なるトレードオフになっている可能性はないだろうか。

 

「職人芸」では生産性が上がらない

私は何も社会派ぶって、技術の前進に背を向けようと言いたいのではない。むしろ、合理的に、かつ全体最適的に前進すべきだと思っている。具体的には、フィンテックを利用した技術開発の際、サービス業の末端の作業環境を十分に考慮してプロセスを進める必要性があると考える。

かつて、コンビニで投資信託や金融商品を販売しようとして、実験を始めた銀行があった。それ自体は、一人の消費者という部分最適で見れば、利便性の向上につながるかもしれない。しかし実際は、投資信託や金融商品の販売には一取引当たりの時間がある程度必要であり、コンビニのレジに長い列ができてしまって、実験は中止となったと聞く。

サービス業における本質的な生産性の向上は、「職人芸や熟練工しかできない技術」が、「普通の人が、ある程度普通にできる技術」に変化してゆくことで起こる。

例えば、1980年代に導入されたPOSレジ。それ以前のレジは、熟練したレジ打ち専門の従業員がブラインドタッチで商品を見ながら金額を打ち込んでいた。しかし、POSレジが導入され、バーコードを読み取るだけで会計ができるようになった。この結果、誰でも短時間の訓練でレジ業務ができるようになり、日本の小売業の生産性を爆発的に上昇させた。

同様に、一昔前のスーパーの精肉や鮮魚の売り場は、バックヤードで勤務する、塊肉や丸魚をさばく職人の技量に支えられていた。しかし現在、多くのスーパーでは、精肉や鮮魚はセンターで加工しており、店舗では陳列して販売するだけとなっている。もちろん、精肉や鮮魚の職人たちにとって機械化が進むことは嬉しいことではないが、結果として産業全体の生産性は上がり、消費者はより廉価での商品購買が可能となっている。

事ほど左様に、「職人芸→一般の人の仕事」という公式が成り立つことが、サービス業の生産性を向上させるためには欠かせない。