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「本当にこれが俺の名前か?」認知症の進行を恐れる父の「転院騒動」

現役証券マン・家族をさがす旅【18】

78歳で倒れ、入院した父。息子で40代の「ぼく」は、ぶっきらぼうで家族を顧みない性格の父にずっと反発を覚えていたが、父に前妻がいたこと、そして自分の腹違いの兄が存在することを聞かされて以来、家族の知られざる過去を調べるようになった。

その間にも、父の病状は一進一退を続ける。そしてある日、病院でパニックに陥り、家族が呼び出された…。

現役証券マンで作家の町田哲也氏が、実体験をもとに描くノンフィクション・ノベル『家族をさがす旅』。

 

「俺の名前を書いてみてくれよ」

ぼくが母とR病院に面接に行ったのは、10月半ばのことだった。

O駅からバスで30分程度のところにある病院で、療養型施設には100人以上が入院できる。80歳以上の高齢者がほとんどで、見たところ寝たきり状態の方ばかりのようだ。

母と心配したのは、刺激がないため、父も寝たきりになる可能性が高まるのではないかということだった。

2月にメディカルセンターで手術を受ける予定だが、それまでに何度か介護タクシーを使って診察に行くことになる。

入院中は、リハビリが週に2回、入浴が週に2回。面会は14時から20時までだが、見舞客はまばらで病室内のコミュニケーションは皆無だ。こんな生活で、手術に向けて体力を回復させることができるのだろうか。

夕方17時に再度見舞いに行ったときに病院の様子を話すと、父はそれでいいといっていた。自分の息子は相撲取りの稀勢の里なのだと、真面目に看護師に話している姿はいつも通りだ。違うのは、翌朝になって混乱が生じたことだった。

9時40分頃、病院から母に電話があった。前日に何度も、O市内で学校関係の会議があるから昼頃に来るといいきかせた母の言葉は、すっかり忘れられていた。はじまったばかりの会議を抜けて、母が病院に着いたのは10時30分頃だった。

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訊くと、前日のR病院の話を思い出してパニックになってしまったらしい。寝たきり状態の高齢者がほとんどだったという部分だ。家に電話して、早く来てくれと伝えて欲しいと大騒ぎだった。

いつもは手袋をしているが、前日に擦り傷を負ったらしく、包帯をしていた。水を看護師に処分されてしまい、ベッドの柵も自分で外せないようにひもで縛ってあった。

「どうしたの?」

「俺の名前を書いてみてくれよ」

落ちついたタイミングで母が話しかけると、父は怒るように答えた。

「名前だけでいいの?」

「住所とか生年月日とかもだよ」

母はノートを取り出すと、父の氏名、住所、生年月日、電話番号を書いて渡した。

「これが俺の名前なんだな?」

「そうよ」

「本当に、これでいいんだな?」

知らぬ間に、認知症が進行していくのが怖いのだろうか。何度もメモを見ては、内容を母に確認していた。

しかししばらくすると、「稀勢の里は俺の息子だ」、「焼いたパンを早くしまわないと腐っちゃうよ」、「80万円は用意したか?」など、つながりのないことを話しはじめた。

メディカルセンターでは、リハビリは午前と午後にわけて2回行うようになっていた。リハビリのときはいつも機嫌が悪く、今日はやりたくないと子どものようにいうのを励ましてやっと動く。リハビリが減るのも、転院で心配な点だ。

しかしリハビリがなくなると、自分が寝たきりの老人たちと同じ状態になるのがわかるのだろうか。父の文句がいつもより少ないのが意外な気がした。

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