天安門事件で空っぽになった石平が語る「その後の人生」

石平×安田峰俊
安田 峰俊 プロフィール

安田:とはいえ「日本人・石平」の政治的立場は、平均的な日本人と比較しても右に位置するはずでしょう。なぜでしょうか。

石平:正直なところ、僕は最後まで理想主義者なんです。要するに、なにか理想的なものの中にいないと、自分はもたない。かつての理想の枠組みは中国への愛国心にもとづいた、中国のための民主化だった。でも、それは永遠に破れてしまった。ならば当然、僕の新しい理想の枠組みは日本に置かれるんです。

安田:天安門事件で空っぽになった理想の器は、別に何かで満たされなくてはならなかった。

石平:ええ。僕は幸いにして日本に来て、長く生活してきましたが、いい体験ばかりなんです。僕は中国の古き良き文化が好きな人間ですが、それは現代中国で失われたものすらも、日本には存在している。例えば今日、ここに来て――。

安田:大阪から滋賀県までお越しいただいてすいません(注.この対談は安田の実家の寺院でおこなわれた)。

石平:いやいや。ここで寺の庭を眺めて、お茶を飲んで風の流れを感じてと。そこで私が感じるのは古き良き中国であり、それを美しく昇華させた日本の伝統文化への愛着なんです。ある意味で、僕にとっての理想の世界は日本にこそある。日本料理も大好きです。

もちろん僕も、日本が抱えている様々な問題は知らないわけじゃない。しかし、それは別の問題です。僕にとって日本は、理想的なものでなくてはならない。そうなっちゃった。ある意味において、僕が日本を愛するのは自分のためのことでもあるんです。

 

理想の世界を守るため

石平:そして僕は日本人としての意識を持つ。例えば靖国問題にしても、僕は昭和初期の戦争には否定的です。しかし、あの戦争で国のために命を投げ出した人は美しい。それを決断した人間はバカであっても、若くして純粋にこの国のことを思って、亡くなった方は美しい。だから僕は、自分が日本国民になった以上、彼らが眠る場所には参拝するべきだと考えている。

安田:新天地の国を愛して、精神的に一体化することを望む結果、現地では右派的とされる立場にコミットしていく心理は理解できます。例えば天安門の学生リーダーだった熊焱は、アメリカで帰化後に(従軍牧師としてですが)軍籍に入って、イラク戦争に参戦しています。かつてトランプ政権の仕掛け人だったスティーブン・バノンの幕友にも、中国民主派の在米華僑が少なからず混じっていました。

※天安門リーダーの一人、熊焱のその後について伝える『“六四”人物詞典』(溯源書社、2013年)。1994年に米国陸軍に入隊、2004年に従軍牧師としてイラク戦争に参戦、という記述がある

石平:僕はこの日本の伝統と文明に一体化して、人生における最後の安息を得たいと考えています。だから逆に、日本を攻撃して貶めるような言説は容認できない。なので、僕が左翼を批判するのも本気なんですよ。自分の心と精神における、最後の理想の世界を守らなくてはならない。
 
安田:なるほど。とはいえ私は「日本を貶める」というか、一定の適切な批判は必要かと思います。例えば中国でも、天安門のデモの学生が中国の国家体制や政治を批判したのは、別に祖国が嫌いだったからじゃない。むしろ一種の愛国心ゆえでしょう。日本においても、こういう立場からの批判は健全なものだと思うのですが。

石平:それは当然。民主主義の社会ならば、それは存在するべきです。ただ、僕は政策を批判することも賛成することも必要だと考えています。例えば安倍総理の日韓慰安婦合意は、例え他の右派の人たちがナアナアで納得していたとしても、僕はあくまでも反対して批判する。逆に改憲や安保法制の整備には賛成するんです。


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日本にはもうすぐ、平成最後の夏が訪れようとしている。1989年に幕を開けた時代の終焉である。しかし中国もまた、この約30年間で人も社会も一変し、往年の天安門のデモに熱狂した青年たちも考え方を変えた。石平の人生遍歴もそのひとつだろう。

かつての民主化青年たちは、天安門事件で空っぽになった理想の器を何で満たしたのか。『八九六四』では、そんな彼らの後半生に密着している。社会のありかたを変えた事件が、当事者たちにもたらしたものとは。それは、結果的に日本に何を与えたのか。

平成元年に北京で起きた大事件から、中国と日本のいまが見える。