ベートーヴェンの死から13年後、遺品整理の際に見つかったとされる3通の手紙が公表された。
この手紙は、第3信が「おはよう、7月7日―床にいるうちから、思いを君に馳せている。わが不滅の恋人よ」と始まることから「〈不滅の恋人〉への手紙」と呼ばれている。
この〈不滅の恋人〉とは一体誰のことなのか。世界中の研究者を巻き込み、調査が行われた。皆がそれを「恋文」であると解釈していたのだ。
しかし、この「恋文」には不可解な点が多数あった。恋文なのに、なぜ乱筆で鉛筆書きなのか。ナポレオンの政敵であったハンガリー貴族・エステルハージの名前が出てくるのはなぜなのか。
そこで一つの仮説が立てられることとなった。この手紙は、当時の秘密警察の検閲を掻い潜るために恋文を装った「密書」であるという解釈である。
手紙が書かれた1812年当初、ナポレオン軍による「ロシア遠征」が進行中だった。
ナポレオンは「大陸封鎖令」を敷き、ヨーロッパ大陸の市場からイギリスを締め出そうとしていた。しかし、ロシア皇帝はこれに反抗し、「大陸制度離脱」を宣言。そのため、ナポレオンはロシアに大軍を送り込むことになったのだ。
これを好機と見たのが大陸封鎖令による輸出入禁止でピンチに陥っていたオーストリアの守旧派貴族たち。ナポレオンが不在の間に、ヨーロッパの王侯領主たちと接触、連携し、ナポレオンに反旗を翻そうとしたのだ。
そこで動いたのが、手紙に出てきた秘密警察の首領・メッテルニヒの片腕だった守旧派貴族のエステルハージだった。
しかし、ベートーヴェンはこれを見逃さなかった。後援者の多くがナポレオン支持の改革派貴族だった彼は、エステルハージの動向を監視し、手紙を通してパトロンに伝えていたのだ。
ピアノ演奏のためにヨーロッパを自由に移動できたベートーヴェンは、改革派の秘密諜報員として活躍していた。
生涯、自由主義者を貫いた彼は〈不滅の恋人〉である「自由」のために戦っていたのだ。(羽)
『週刊現代』2018年6月9日号より