ユウちゃんが言うのを教師が止めていたら

多くの他の学校では、いわゆる「障害がある」と診断された子には全校朝会などでは通常は必ず横に担当がつきます。でも大空では一番の支援者は子どもたちなので、みんなが学んでいるときに大人が入るのは邪魔だという考えから、子どもたちの中に入らずサイドにいます。

でももし自分が支援担当としてユウちゃんの横についていたら――大空ででも最初はそうだったので――もしいたらどう動いたかというシミュレーションを、教職員全員としたんです。

100% ユウちゃんがぱっと立った時に「ユウちゃんダメ、座りなさい」と座らせた。

100% 「ユウちゃん、シッ」といった

100%、ユウちゃんが我慢できなくなったら外に連れていく

そういうことをしていただろうとみんなが言いました。ユウちゃんが学びのリーダーでした。私たちは「道徳的な学びとはなにか」とともに、リアルに「支援ってなんだろう」ということも、校長の大失敗から学んだんです。

「私が失敗したから学べたやん」って思わず言っちゃって、「それ言わないいのに」ってみんなに言われたんですが。

校長の失敗を繰り返したくない

失敗は隠すのでなく、そこから学ばないといけませんよね。先生たちは私の失敗を期に、「自分は授業で校長先生みたいなことやっているんちゃうか」と、自分のことを振り返ったんです。そして「こんな風にはなりたくない」と思ったんです。

先生たちは基本的に良いことをやろうとしているから、うまくいかないと「これだけ頑張っていうのになぜ評価されない?」と思ってしまいます

私だって「こんな若者にしたらアカン」と思って話そうと思ったわけです。動機は悪くない、すごく努力した、土日がんばって教材も調べた。これだけがんばってる、それだけで私自身はどっと疲れているんですよ。ただ、これだけ頑張っても子どもが聞いてくれないとしたら、それは私のやり方が「主役は子ども」ではなかったからなんですね。

教職員が私の失敗を見て発見したことはとても大切なこと。その学びのリーダーはユウちゃんです。大人が一方的に話しても、子どもたちには何も入っていかないんです。

この日のミーティングに「全校朝会の校長の話はやめよう、今日ユウちゃんからこれだけのことを学べたのは、1年~6年全員、多様な子たちが集まったところだった。これは分散した授業では受けられない。子どもたちにとっても、多様な年齢の意見を聞くのは大きな学びになる。

だから全校朝会を全校道徳に変えよう」と話しました。それが、前回お話した「全校道徳」となったのです。

道徳は週一回全学年に割り当てられています。教科化の前は、テレビで観て終わりとか、そういう不確かなこともありました。教科化となった理由のひとつはそこもあると思います。ただ、教科書を作った会社や、一人の教師の価値観を「正解」にするのは道徳ではありません。正解のない問いを問い続けることができるのは、唯一100%できるのが道徳なんです。

大切なことは、ひとつのテーマについて、子どもたちが自主的にで考え、意見を述べ、他人の意見を聞き、対話すること。上からの意見をただ押し付ければいい、伝えればよいのではないということを、ユウちゃんは何より明確に私たちに教えてくれたのです。

「不登校も特別支援学級もない、同じ教室で一緒に学ぶふつうの公立小学校のみんなが笑顔になる挑戦」。テレビドキュメンタリーを作成したチームが、2012年からの一年を追い続け、作成した映画。通常ならば撮影カメラが入ると子どもたちはそこに近づいてくることが多いが、大空で撮影カメラを回しても、生徒たちはまったく動じることはなく、勉強に集中して普段の生活をしていたという。上映会を個別に依頼することも可能だ。(詳しくは映画公式HPをご覧ください)冒頭は、今回の話をきっかけとして始まった「全校道徳」のシーンから始まっている。