マツダの好調を支える「2%戦略」その秘密

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山崎 明 プロフィール

マツダの強さの秘密

日本でも本格的に欧州流のプレミアムブランド戦略に取り組み、成果を出し始めているブランドがある。それがマツダだ。

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マツダはもともと東洋コルク工業というコルクを作る会社だったが、1931年に三輪トラックで自動車の領域に進出した。その後、世界で唯一ロータリーエンジンの実用化に成功するなど、優れた技術を持っていたものの、オイルショック以降そのロータリーエンジンの燃費の悪さが仇となって経営不振に陥り、1979年にフォードの資本を受け入れることとなった。1996年にはフォードが資本比率を33・4%にまで引き上げ、社長もフォードから送り込まれた。

マツダはフォードグループの一員として、その戦略に基づいて車台やエンジン、部品等の共通化を進めていったのだが、2008年になって、フォードはマツダから手を引き始める。2010年にはフォードの資本比率は3・5%にまで低下。そして2015年には、フォードはすべてのマツダ株を手放すこととなったのである。

 

フォードとの関係がなくなった以上、マツダは単独で生きていかねばならなくなった。生産台数百数十万台は、独立した量産自動車会社としてもっとも小さい部類に入る。この規模で利益を出せるようにしなければならなくなったのである。

当然、技術開発に割ける予算は限られ、生産できる製品数も制限される。大手に対抗するようなコストでは製造できない。それまではフォードと車台、エンジンや部品の共通化でコストを抑え、ディーラーが大幅値引きのチラシを撒いて、割安感で数を捌くという方法を取っていたが、それもできなくなった。

当時のマツダ経営陣は、ここで大きな決断を下すことになる。小さい規模で生き延びていくためにはどうすればよいか。大きな会社とは異なる存在意義を見出し、市場においてユニークなポジションを築き上げるしかない。それは、マツダという会社を一新するといっても過言ではない決断である。

この挑戦を明確なリーダーシップを持って主導したのは、2008年から社長に就任していた山内孝氏である。山内氏はこのような言葉を残している。
「誰も助けてはくれない。だからこそ、マツダはアイデンティティを確立する。生き様は自分たちが決める。そして、その戦略を実行することに尽きる」

シェア2%戦略

マツダの製品は、付加価値と独自性あるものとしなければならない。そのために、製品開発をすべてゼロからやり直すことにした。エンジン、ボディ、サスペンションなどを根本的に見直してマツダが考える「ベスト」を追求しようとしたのである。この一連の技術は「スカイアクティブ」と呼ばれている。

とはいっても、取り組める領域には限りがある。ここでマツダは、動力源に関してはハイブリッドやEVの開発は諦め、内燃機関の改良に集中するという決断をする。この試みは、後に超高圧縮ガソリンエンジン、低圧縮ディーゼルエンジンなど、独自性の高い技術につながっていく。

次に取り組んだのがブランド戦略である。百数十万台という生産規模は、世界シェア1・5%程度にすぎない。製品そのものは高付加価値商品の方向にシフトすると決めたが、それは同時に価格の上昇も意味し、その製品に見合ったプレミアム性のあるブランド戦略を構築する必要がある。そこで選んだ戦略は、BMWが1970年代に取った戦略と同様な、ターゲットを絞り込む「シェア2%戦略」である。

つまり、多くの人に支持してもらう必要はまったくなく、世界中の2%の人から強く支持されるブランドになろうという戦略だ。個性をはっきりさせて、数は少ないが「私はマツダが一番好き」という人を作り、その人々を満足させるブランドにしていこう、ということだ。これを読んでいる読者の方が最近のマツダ車にピンときていなくても当たり前のことで、それは98%のほうに属しているからである。

ブランドスローガンは、日本では「Be a Driver」(ドライバーになろう)、アメリカでは「DRIVING MATTERS」(ドライビングこそ重要だ)とした。運転の楽しさ、気持ちよさを表現しようというものである。

この方針は、山内氏をはじめとする経営トップの意思で決められ、その後、全社員が同一のベクトルでマツダの新しいブランドイメージの構築に向けて突き進むことになる。

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