パンのあの食感と香りをつくるには、こんな科学的根拠があった

こんな試行錯誤があったとは…
吉野 精一 プロフィール

しかし、それではことが進まない。だから、許容範囲を設けて、その枠内で「目標とされるパン生地」の相似形を出現させて確率を高める。

ただし、パン作りはフィールド(有機化学、生物化学、物理化学など)が多岐にわたり、膨大な量の科学的根拠となる。そしてそれらの情報と経験値の集積を摺り合わせて、選定されたものが実行すべき指示となり、パン作りにおけるアルゴリズムを形成する。

最後に「カオス」の概念であるが、金子教授の言を借りると、「なんの規則性もない混沌たる状態でありながら、そこから新しい秩序が発生する源でもあるという、不思議で魅力的な『実体』である」。

これを私なりに解釈すると、見ためは単純な「練る」「こねる」といった動作から生まれるパン生地は、限りなく相似形を創り出すという点で「実体」である。

さらに多くの複雑な化学反応が絡み合っているパン作りの過程は、ある種のアルゴリズムのもとに「カオス」を形成しているといえる。

話が映画にとぶが、キアヌ・リーブス主演のハリウッド映画『The Matrix』(邦題は『マトリックス』、1999年)の中でコンピューターの母体から生み出される「仮想現実空間」がカオスと想定できなくもない。

コンピューターによって相似形のエージェントがコピーされ、それらと実体をもつ人間が仮想空間で戦うなど、まさに「混沌」そのものではないだろうか? などと思っていたら、本書の小麦粉の「グルテンマトリックス」というパンの化学的な構造についての筆が進み、そこでも映画『マトリックス』のことに触れてしまった。

そんな風に、つい余談が多くなってしまった気もするが、パン好きな人からパン作り専門の人まで、楽しく読める本になっていると思う。『パンの科学』を読むことで、よりパンを美味しく味わっていただければ幸甚の至りである。

読書人の雑誌「本」2018年6月号より