稲田元大臣をすっ飛ばした防衛省報告書の「不自然さ」

これでは日大・モリカケと一緒だ
布施 祐仁 プロフィール

問題の本質はどこにあるのか

ここだけ取り出すと、メールを書いた職員の対応がまずかったという結論にしかならない。しかし、それでは問題の本質は見えてこない。

稲田大臣がイラク日報の再探索を指示したとされる昨年2月22日の時点で、防衛省は当時国会で大きな問題となっていた南スーダンPKOの日報に関して、最高幹部たちが示し合わせて重大な「組織的隠蔽」を行っていた。

それは、陸自に南スーダン日報が一貫して保管されていた事実を隠して、陸自では日報はすべて廃棄されたと対外的に説明するというものであった。この方針に基づき、稲田大臣も国会で連日、「陸自では日報は廃棄された」と事実と異なる答弁を繰り返していた。

昨年7月に公表された南スーダン日報問題に関する特別防衛監察の結果では、陸自に南スーダン日報が保管されていることを隠す方針が決められたのは2月中旬のことだとされている。

2月15日には、防衛省の事務次官室に最高幹部たちが集まって、陸自に南スーダン日報が存在していることを公表するのか隠すのかを協議している。フジテレビが独占入手して報じた協議内容を記録したメモには、次のようなやり取りが記されていた。

黒江哲郎事務次官「どのように外に言うかは考えないといけない」

岡部俊哉陸上幕僚長「(日報のデータが)残っていると国会で言うのはもたない」

黒江事務次官「『なかった』と言っていたものがあると説明するのは難しい」

稲田大臣「いつまでこの件を黙っておくのか…」

結局、稲田大臣はこの後も、陸自に南スーダン日報のデータが残っていることを隠し続けたのである。

稲田朋美元防衛大臣稲田朋美元防衛大臣 Photo by GettyImages

3月中旬にNHKがスクープしなければ、陸自に南スーダン日報が保管されていたことは永遠に闇に葬られていたに違いない。特別防衛監察も行われず、陸自が当初、私の情報公開請求に対して日報を意図的に隠蔽していたことも明らかにならなかった。

特別防衛監察は、陸自に日報データが残っていることを隠蔽する方針は、最終的に黒江次官が決定したと結論付けた。稲田大臣がイラク日報の再探索の指示を出したとされるのは、黒江氏が隠蔽の方針を決めた後である。

もし私がAだったら、こう考えるだろう。「今も活動中の南スーダンの日報は全て廃棄したと虚偽の説明をしているのに、10年以上前に活動が終了しているイラクの日報が出てきたら辻褄が合わなくなるよな」、と。

防衛省の報告書によれば、Aは回答の期限も示さず、その後、回答を取りまとめて上司に報告することもなかった。また、Aに再探索を指示したとされる辰巳総括官も、その後、結果を確認することはなかった。つまり、最初から、イラク日報が出てくることはまったく想定していないのである。これを「職務怠慢」だけで片付けるのは、相当な無理があるだろう。

結局のところ、南スーダン日報の隠蔽を隠すためには、イラク日報があるとは口が裂けても言えない状況だったのではないか。そういう意味では、今回のイラク日報をめぐる問題は、防衛省が南スーダン日報の隠蔽を組織ぐるみで隠そうとしたことから派生したものだと言える。

 

「尻尾切り」を許していいのか

しかも、この南スーダン日報に関する組織的隠蔽には、稲田大臣も関与していた疑いが消えていない。

稲田氏は「隠蔽を了承したこともなければ、陸自の日報保管の報告を受けたこともない」と一貫して否定しているが、フジテレビが報じた2月15日の会合での「いつまでこの件を黙っておくのか」という発言は、知りながら意図的に隠していたことを示している。

特別防衛監察は2月15日の協議について、「陸自における日報データの存在について何らかの発言があった可能性は否定できない」としつつも、稲田氏がそれを隠す方針を決めたり了承したりした事実はなかったと結論付けた。

しかし、陸自に日報データが残っていることを知りながら、それを伏せながら国会で「陸自では日報は廃棄された」と答弁していたとしたら、まぎれもなく隠蔽を実行していたことになる。

稲田氏は、陸自でイラク日報が見つかったにもかかわらず自分に報告が上がらなかったことについて、「驚きとともに、怒りを禁じ得ない」「上がってきた報告を信じて国会で答弁してきたが、一体なにを信じて答弁していいのか。こんなでたらめなことがあってよいのか」と当時の「部下たち」を語気強く批判した(産経新聞、4月4日)。

しかし、南スーダン日報をめぐる組織的隠蔽に稲田氏も関与していたとするならば、イラク日報をめぐる問題でも稲田氏にも責任の一端があると言わざるを得ない。