小泉純一郎と野党の脱原発連合を演出した「角栄の愛弟子」

新潟県知事選・深層レポート
常井 健一 プロフィール

将来の総理候補

中村喜四郎。この名前を聞いてピンとくる読者は、かなりの政治通に違いない。議員勤続40年、当選14回。小沢一郎、野田毅に次ぐ衆院でナンバー3の古株である。

その彼が、新潟の地に現れた理由のひとつは、政治の原点が「田中角栄秘書」ということで浅からぬ地縁があったからだ。

参院議員を務めた両親を持つ中村は田中事務所を退所後、27歳の時に故郷の茨城で衆院選に立候補して初当選。その後、88年に田中派が分裂すると「経世会(竹下派)」結成に参加し、若くして派閥の事務局長となった。翌89年、40歳で初入閣(宇野内閣)。小沢が自民党幹事長だった頃には総務局長を務め、将来の総理候補と目された。

だが94年、ゼネコン汚職事件に絡み、建設相退任後にあっせん収賄罪で逮捕。検察の取り調べに完黙を貫き、マスコミの取材も拒み続けてきた。国会でも本会議場以外で目撃することが難しい中村が、記者との長いやりとりに応じたのは、新聞、テレビ、雑誌、ラジオ、インターネットを含めても、たったの2回。

手前味噌になるが、4年前に筆者が行った60分間の「単独インタビュー」(文藝春秋14年8月号「『選挙の神様』角栄が挑んだ史上最大の作戦」に一部掲載)のほかには、昨年10月に「週刊現代」専属記者の小川匡則による電話取材に答えたのみである。

 

一方、中村は選挙にはめっぽう強く、逮捕後も無所属でありながら03年の実刑確定まで選挙に勝ち続け、服役後の05年にあった郵政選挙で見事に復活。角栄直伝のドブ板選挙と「鉄の結束」を誓い合う後援会のおかげで、筑波山麓の一帯では新宗教さながらの〝信仰〟を集め、初当選から無敗を誇る。

同じ小選挙区には自民党の中堅議員がいるのにもかかわらず、公明党は中村を推薦。一時は無所属の立場で自民党派閥に「客員会員」として属し、森喜朗が選挙応援に駆けつけたこともある。

小泉は2月に出した回想録『決断のとき』で、中村のことを「日本一選挙に強い男」と絶賛。知られざる秘話を1ページ半の紙幅を割いて綴っている。2人は角福戦争では互いにボスの秘書、議員になってからは2大派閥のプリンスどうしとして切磋琢磨したライバルでもあった。

〈じつは(宮澤改造内閣の)組閣のとき、私が建設大臣で、中村喜四郎さんが郵政大臣という線で一度決まりかけた瞬間がありました。しかし、中村さんは旧田中派で建設族ですから、当然、建設大臣のポストを希望した。その結果、中村建設大臣、小泉郵政大臣となりました〉(『決断のとき』より引用)

仮定の話に過ぎないが、もし、「小泉建設大臣」「中村郵政大臣」となっていたら、中村がゼネコン汚職で逮捕されることもなかったし、小泉は郵政民営化を実現できていなかったかもしれない。

きっかけはYKK

閑話休題。

新潟県知事選を巡り、水面下の連携を見せた小泉純一郎、山﨑拓、中村喜四郎。

3人の接点は「YKK」にある。90年前後の竹下派全盛期、非主流派の小泉、山﨑、そして加藤紘一が組んでいた政策ユニットに時々招かれ、「NYKK」を構成していたのが中村。小泉がいみじくも「友情と打算の二重構造」と称した盟友関係の中でも、主流派にあった中村は羨望の的であった。

あれから四半世紀が過ぎた2018年、政治家としてあまりに対照的な「平成時代」を過ごした2人は、新潟に向かう前、東京駅の新幹線ホームでばったり再会した。雑踏の中から中村の姿を見つけた小泉は、人ごみをかき分けるように近づいていったのだ。

「おー、中村さん。久しぶりー」

「これから小泉さんの講演を聴きに行くんです」

「そうかー。あんたのこと、『選挙に一番強い男だ』って本に書いたんだよ」

小泉は人目も憚らず、大声で喜んだ。マスコミの前では強面を貫く中村は、はにかみながら同じ新幹線に乗り込んだ。列車が走り出した後にも、中村はわざわざ小泉の席に出向き、改めて挨拶をしていた。

5月19日、福島・会津若松で行われた渡部恒三の誕生日会にゲストで招かれた(撮影:筆者)