忙しすぎる勤務医夫婦が、保育園に落ちて下した決断

人生を「最適化」するなら、今しかない
本間 けい プロフィール

こういった「雑務」のしわ寄せは、当然、医師と、その医師が抱える患者に来ることになる。「医療者」と「患者」が犠牲になってしまう、という現実が日常レベルで発生している。

何かのきっかけですぐに瓦解してしまう様な日本医療の危うさを、現場の最前線で働く医師達はひしひしと感じているのだ。

 

「自己研鑽」という言葉に踊らされる医師

医師の働き方の話になると、いつもこの「自己研鑽」という言葉が付いて回る。
「人の命を守る医師は、自己研鑽し続けなければならない。自己研鑽し続ける事は、勉強であり労働ではない。だから、労働時間とかそんなのは関係ない、自己研鑽(と言う名の労働)をし続けろ!」って論法である。これが正しいのかどうなのか、という議論は、昔から延々と続いている。

しかし、この言葉を真に受け、多くの真面目で勤勉で優しい医師は、「医師のアイデンティティ」を守り続けるために、自己研鑽(と言う名の労働)をし続けるのだ。彼らの人間的な生活を犠牲にして。

医療において、一番守られるべき存在は、病で苦しむ「患者」と、専門知識を生かして力を発揮しなければならない「医療者」である。彼らが最優先になるシステムを作り上げるのが目的であるべきなのに、どうやら「医師の理想の姿」「医師はこうあるべき」といった超正論を、医師に対して周囲が振りかざし過ぎており、結果として、ヘロヘロになった医師たちが、なんとかそれに応えているという構図が日常となっている。この姿を「性善説によって支えられている」と言わずして、何と言うべきなのか。

「患者を救う」ためなら、何時間でも頑張る

働き方の問題になると、労働時間をどうするのか、と言う議論がすぐ前面に押し出される。「月に何十時間以内の残業まで」などと規定するのが、最も分かりやすい基準だからだろう。

しかし、僕の立場から言わせてもらうと、医師に対して残業時間を規定するだけでは、表面的な問題をなぞったに過ぎず、全く本質的ではない。

仮に、真夜中に指が4本切断された急患が運ばれてきたらどうするだろうか? 今月は残業時間オーバーしているから手術をしない、という判断に至るだろうか?

そんなはずはない。医師は残業時間など気にせず、目の前の患者を何とか助けるべく必死に治療するだろう。切断された指1本1本の骨、腱、神経、血管を繋ぎ合わせ、10時間以上の手術をしなければならない。極限状態の集中力を発揮して目の前の患者を助けようとしている医師に対して、「いやー、1日で残業10時間は働き過ぎだから、あと今月は残業しないでね」と、声を掛ける事が出来る人などいないはずだ。

医師は、患者を助ける事であれば、いくらでも頑張れる。もちろん残業時間は短いに越した事はないが、患者を助けるためには、残業時間などを気にしていられない事が日常茶飯事であるのは、医師達は十分承知だ。もちろん残業を短くする施策は絶対に必要だが、そこだけでは全く十分ではない。