1年生から大人までが自分の意見を言う

さて、それから全校道徳はどう進められるかというと、グループに分かれて、大空のリーダーのコーディネートでみなが意見を言いあいます。15分ほど議論したら、各グループ、自分のグループで出し合った意見を全体の場で伝え合います。大人ももちろん意見を出します。子どもは様々な意見や考えをそれぞれにクラスに持ち帰り、「振り返りシート」にそのときのテーマについての自分の考えを書いていくのです。

もちろん、考えを言い合うことが簡単でないことは多くあります。ある日「いじめって何」というテーマだったときのこと。1年生の子が「わからへん」と言ったきり黙ってしまいました。リーダーの6年生がたまりかねて「何か言い」と言ったら、1年生は泣き出してしまいました。

「正解はないから、なんでも思ったこと言うたらええねんで。みんなの言うこと、聞いとき」

6年生はそう言ってなぐさめ、2年生の子から考えを話していきました。6年生まで全員が発表したあと、最後にその1年生はこう言いました。

「自分がされていやなことは、したら、あかん」

この6年生は振り返りシートにテーマのこと以外にこういうことを書きました。「最初は1年生の子にどうしゃべっていいのかわからなかった。自分は意見を言えるけど、1年生ってこんなもんか、と思った」。テーマのことだけではない学びが、多様な子どもたちとの学び合いで実現しているのです。

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主体的対話的深い学び

つまり、全校道徳の流れはこういうことです。「①自分の考えを持つ」「②友達や大人たちの考えを聞く」「③自分の考えをさらに持ち表現する。」正解なんてありませんから、いろんな考えがあって当たり前。だれも「そんな考えおかしい」なんて言いません。「自分は違うように思う」とは言いますが、「間違っている」とは言わない。

また、学年が異なる1年生から6年生まで多様な学年が一緒になって話すことで、さらに幅広い考えを学ぶことができるのです。

また、大空小学校の特色として、学校を地域の人とも一緒につくっているので、学校の授業は多様な大人たちとも学び合います。全校道徳の皆勤賞をもらうと言うお母さんもいます。「全校道徳でわたしは生まれ変わった」と言っていました。

「全校道徳をやめて教科書を教えろ」の矛盾

昨年度、道徳が教科化になるタイミングで、「全校道徳」を各教室での教科書を使った授業に変えるように「指導」が入ったと聞きました。

しかし、文科省の定めた道徳教科化の目的は「主体的、対話的、深い学び」です。教科書で教えるよりももっと良い教材があるとなれば、その教材を独自でつくって子どもたちと学ぶことは大きく評価されてきました。

ですから、文科省の提示する「道徳教科化の目的」を最大限に達成していることが分かっている教職員たちは、「全校道徳の廃止」という指導に対して目的と手段が逆転することがわかっていました。

大切なのは「良い学び」の中身です。子どもたちにとって「良い学び」は、いろんなテーマについて自分事として考え、さまざまな人の考えを聞き、さらに深く考えることができる。全校道徳で体得できる「主体的、対話的、深い学び」そのものです。それとも、管理している国、教育委員会、組織にとって「良い学び」の内容が異なることがあるのでしょうか。

学校現場では、道徳が教科化になった目的がぶれることがあってはならないと思います。

次回は私たちがこの全校道徳をするに至った、私の大失敗と、ある一人の子どもから学んだことについてお伝えしたいと思います。

「みんなの学校」大空小学校元校長の木村さんが語る「道徳教科化」の公平な教え方についてはこちらhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/55768