財務事務次官セクハラ事件が映す「平成の末期症状」

完全にズレている彼らの感覚が示すもの
佐藤 優, 片山 杜秀 プロフィール

ローカルルールはすべて消滅する

片山 そうか、芸者の胸に手を入れようとして鈴木宗男の懐に入るわけですね。でも、日本を支えるはずのトップエリートたちが何をやっているんだと思うと、悲しくなりますね。

というか、完全にズレている。そのズレがなぜ生じていったのかを考えることが、平成という時代を探る鍵になるのかもしれない。

福田の事件に限らず、モリカケ問題における官僚の関わりをみても、霞が関だけで通用するローカルルールとでもいうべきものが、社会の常識と照らし合わせてみると、異常だった、ということを指摘できると思う。

いや、霞が関だけではない。一昨年のベッキーのゲス不倫も、昨年末から始まったハリウッドのセクハラスキャンダルも、最近起きたジャニーズの山口達也が泥酔して、未成年者に強制的にキスしたという事件もかつてなら許されていたと高をくくっていたわけでしょう。

佐藤 そうですね。たとえば不倫にしてみれば、かつては石田純一のように「不倫は文化だ」でも開き直れたわけです。

ハリウッドにもジャニーズ事務所にも、独自の掟があった。しかし平成に入り、掟が許されない社会になってしまった。それが通用しない上、これまで弱者といわれてきた人間も「#Me Too」で簡単に外部と連帯し、権力者に抗することができてしまう。すべての業界が平準化されてしまった。

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この影響は大きいでしょうね。分かりやすい例が角界です。土俵への女人禁制というローカルルールはもはや、「伝統」というだけでは理解されなくなっている。

片山 西田幾多郎が、宗教と文化が対立すると多様な文化は潰れていく、という言葉をのこしています。ここでいう宗教とは、何ものにも依存せずに存在できる超越的な絶対者です。文化はその逆の多様でローカルなものです。多様な文化が死んで社会が一元化されてローカルルールが許されなくなった平成社会と重なります。

佐藤 そもそも多様なものを調整していく議論に人々は耐えられないのではないでしょうか。これまでの日本では、良いも悪いも様々な利害を調整する役割を官僚が担ってきたと思いますが、もうそんな煩雑な手続きや調整を社会が求めていない。

その風潮は政界にも顕著にあらわれている。モリカケ問題における国会議論を眺めていても、野党には期待できないという空気が自然に醸成されている。

もちろん、それは野党にだって責任はある。いまの政権批判は、美しいか醜いか、キレイか汚いかの二分法でしょう。たとえば、辻元清美は、かつては鈴木宗男さんの海外利権疑惑を「疑惑の総合商社」と批判し、最近では政府を「疑惑の館」、安倍首相を「膿の親」と呼ぶ。疑惑とか膿とか、汚く醜い比喩を使う。「いまの政府は腐敗している。汚いじゃないか」と。

片山 議論を尽くし、異なる立場の人の利害を集約して安定した社会を継続していくのが民主主義社会です。官僚に限らず、国会も空転している。これまで日本を回していた「政」と「官」が機能不全を起こしつつあるいま、「ポスト平成」に不安が募ります。