物事の判断が鈍り、過度の要求に応じることも

これはスポーツに限ったことではありません。例えば、指導教員から「お前なんか卒業させない」「卒業したいんだったら、1週間寝ないで研究しろ」と言われた学生が、「卒業させてもらえなかったらどうしよう」と本気で悩み、教員の言葉通り、睡眠時間を削って研究にあたるようなケースがあります。

研究室のソファで仮眠しているところを見つかって、「寝ないで研究するように言っただろ!なんで言われたことができないんだ!」とさらに叱責を受けたりすると、学生は「できない自分がいけないんだ」「悪いのは自分だ」と自分を強く責めるようになる。そして、物事の判断力が鈍り、客観性や主体性も失われて、さらなる過度の要求にも応じようとしてしまう。ともすると、研究成果を出さなければと思うばかりに善悪の判断すら難しくなって、「いけない」とわかっていることにまで手を染めてしまうかもしれない。こういうことが、実際に起き得るのです。

「これだけ冷静な記者会見ができるのに、なんで人を怪我させるようなことをするのか」という声があるかもしれませんが、普段であれば発揮される判断力が弱まり、主体性や客観性も失われてしまった結果が、あのプレーだったとすれば、それこそまさにハラスメントの影響だったと言えるかもしれません。

ハラスメントにはグレーゾーンがある」とよく言われます。AさんがBさんを殴り、その結果、Bさんが怪我をしたというような場合は、加害行為と被害の程度が明確にわかるのですが、ハラスメント被害は体の怪我とは異なり目に見えにくいものです。

また、加害行為も言葉によるものだったり、ときには「場の空気」だったりするので、加害であるかどうかの評価は、人の感受性や人間関係に左右されやすい側面があります。「指導者側の意図と選手の受け止めに乖離があった」「つぶせというのは、思い切ってあたれという意味」という今回のような反論を許したり、ハラスメントの事実認定に脆弱性がつきまとったりするのは、そのためです。
 
その点、救いという言い方が適当かどうかわかりませんが、今回、「つぶせ」と言われたときに「相手のクォーターバックが怪我をして秋の試合に出られなくなったら、こっちの得だろう」という具体的な言葉もあったこと、そして、それをチームメイトが聞いていた可能性があることは、事の本質を明らかにする手がかりになります。

「理不尽さ」や「不当なパワー」といった目に見えないもの、しかしながら、そのことで確実に受けた被害を明らかにするためには、具体的なエピソードの積み上げや関係者の証言が、大いに助けになります。そして、理不尽な目に遭い傷ついた事実を認めてもらうことは、なにより回復への第一歩につながっていきます。