ちなみに、大空小学校では、「通知表は見える学力を主に評価してしまいがちだ」ということを、子どもも大人も共有した中で作成しています。そして、5段階評価だけではなく、きちんと見えない力(4つの力)についての評価を示すようにしています。毎学期、自分の言葉で子どもが自ら自己評価をし、その「自己評価シート」をもとに、学校と家庭が子どもの育ちを語り合うのです。

毎学期の評価のたびに、子ども自らが作る「自己評価シート」から、大人の私たちも学ぶことができます。懇談会では、学校は学校は保護者に対し「見える学力」と「見えない学力」の両方について提示します。単に「学期末に子どもを通して渡す」だけの通知表は大空小学校にはありません

それは、なにより「見えない力」が大切だと思っているからです。

正解のない道徳は、まさにその「見えない力=4つの力」を学ぶことのできる大きなチャンスだと思います。

国語のように教えてはならない

大切なのは、教科書の使い方です。教員が教科書をどう教材として提示するか。それは教員にまかされている仕事です。教科書に書かれている狙い、これは教科書に基づく指導書がありますが、道徳は国語とは違います。教科化されたことでとても大切なのは、「道徳と国語の授業とがかぶっては絶対にいけない」ということです。

物語文を読むと、教師はついつい、「主語はだれ」とか、「このときどうしましたか」とか、「読解させよう」とします。実際、それだけで終わっている道徳の授業を私は見てきました。読解して、先生が説明して、最後に「はい自分の考えを書きなさい」と言っても、すでに「こういう意図で書かれています」と教えた上で意見を言わせるわけです。それは、いやらしい言い方をすれば、洗脳されたあとに自分の考えを述べなさいということではないでしょうか。

バントの指示に従わないと義務違反?

道徳の教科書で話題になっているある話のひとつに、「星野君の二塁打」というものがある。学校図書や廣済堂あかつきから刊行されている6年生の道徳教科書などに収録されている話だ。この中で、星野君のチームは少年野球チームで隣町の野球チームと1点を追いかける試合をしていた。最終回の7回裏、星野君の打席になった時、監督はバントの指示を出す。しかしその命令に納得できないままにバッターボックスに入った星野君は、「打てる」と思ってバントをやめて二塁打を打ち、チームは逆転勝利して市内野球選手権大会出場を決める。

物語の中では最後の攻撃のノーアウト1塁で星野君の打順が回ってきた。「星野は明るい、すなおな少年だった。しかし、今日の命令だけはどうしても納得ができなかった」とある Photo by iStock

翌日、野球選手権のために練習に集まったところで、監督は選手たちに次のことを告げる。
いくら結果が良かったとはいえ、チームで決めた作戦であるバントのサインを破ったことは「チームの作戦として決めたことは、絶対に従ってもらわなければならない」という規則を破ったことになる。規則を破り、チームのまとまりを乱した者(星野君)を、大会に出すわけにはいかない、と。

教科書には「だれもがきまりを守らず、義務を果たさなかったら、どんな世の中になるのでしょうか」という問いもある。しかし、スポーツの世界でも、指導者が間違っていることもありうる。教える側によっては、この教材で「とにかく従う」ことを教えることにつながってしまうのではないだろうか。