カンヌ最高賞・是枝監督「万引き家族」が問う、いびつな家族のきずな

「家族を描く理由」を本人も知らない
井戸 まさえ プロフィール

事件の長男のことを調べていると、近所の駄菓子屋さんに彼の書いた絵日記が残っていた。絵日記の内容は空想だったが、壁に貼られた紙には「早く大人になりたい」とあった。

その言葉に嘘はないと思った。

「彼のことがわかるんじゃないか」

是枝監督自身は悲惨な子ども時代送っているわけではないものの事件の長男同様「早く大人になりたい」と思っていた。

〔PHOTO〕iStock

ずっと学級委員だった。先生からは信頼をされ、自習時間というと、やんちゃな子に「座って座って」と注意する側。勉強もスポーツもできる。

しかし、一方で小学校の通知表に「子供らしい伸びやかさに欠ける」と指摘される「子どもらしくない子ども」だったのだ。

子どもにとってそれは否定語以外の何ものでもない。ショックを受けるかと思えば、その記載を「その通りだ」と納得する冷静な小学生。

自分が早く大人にならなければ家庭や学校にある今の秩序は崩壊するのではないかとい焦燥感は、過酷な暮らしの中で「早く大人になること」を要求され、当然あるはずの「誰かに守られた子ども時代」を過ごすことができない子どもたちと共有できるものだった。

 

こうして1989年に子どもの視点で書き始めた「大人になれば、僕は」の脚本は実際に映画になるまで15年の月日を要した。

20代だった是枝監督は40代に差し掛かり、「僕は」と子どもの一人称に寄り添うというよりは、むしろ彼らを置き去りにする側の大人であり社会の側にいる自分を意識せざるを得ないようになっていた。

「子どもだけの世界」の外側を描く責任が「大人になった、僕」にはあるのだ。

「誰も知らない(英題Nobody Knows)」

ひと言で、子どもたちの状況も、社会の関わりをも言い表すこのタイトルは社会に衝撃をもたらした。

「巣鴨子ども置き去り事件」から30年目の年に、パルムドール賞を受賞するというのは、単なる巡り合わせではなく、こうした家族を包摂できていない社会のありようを改めて問うているような気がする。