日本カーリング界の「ゴッドマザー」が遺した愛弟子へのメッセージ

男子代表コーチ長岡はと美インタビュー
竹田 聡一郎 プロフィール

自分たちですべてのことをやるべき時期が来ている

ーー具体的に、オリンピックに出られるかもと意識し始めたのは、どの時期だったんですか?

「あいつらと最初に会ったAXE(アックス/SC軽井沢クラブの前身チーム)時代は正直、『この子らスポーツなんてできるのかな』と思った。モロはデブだったし、コースケ(両角公佑)もコロンコロンで」

ーーデブでもできたカーリング、という談話が新聞に載ってましたね。

「まずはとにかく、追分(軽井沢町)の畑の周りを走らせてた」

ーー兄弟がふてくされていたという噂のランですね。

「コースケなんて畑の畦の間ににうずくまって隠れて、本当にどうしようもなかったんだから。叩き直すために、うち(長岡鉄鋼)の倉庫を綺麗にして、手作りでトレーニングジムに改造した。今のアイアンスタジオね」

ーーのちに五月選手が通い、山口剛史選手が働く場所ですね。

「そこでタイヤにゴムチューブくっつけたマシンでトレーニングさせたのよ。全部、手作りで」

 

ーーその甲斐あってか、徐々に国内で勝てるようになった。

「さっきの質問、『五輪を意識しだしたのは?』の答えとしては、2度目の世界選手権かもね」

ーー2013年のヴィクトリア(カナダ)大会ですね。成績は11位。ちなみに最初の世界選手権は2009年のモンクトン(カナダ)大会で10位です。

「順位はダメだったんだけど、ヴィクトリアでジェイコブス(カナダ代表)とエディン(スウェーデン代表)に勝ったのよね。そのときに、向こうの関係者やファンは、『お前ら、面白いカーリングやるな』と評価してくれた。振り返れば、そこからすごく伸びていったのかもしれない。ツアーでも『Morozumi』という名前が少しずつ知られていった気がする」

ーーそれで五輪にも?

「13年の年末には、ソチの最終予選(12月/ドイツ・フッセン)に出てるんだから、まあ、意識はしてないわけはないけど、それはメディアのみなさん主導の部分もあるから」

ーー確かに。我々はどうしても五輪ばかり報道しますね。それは反省すべき点です。

「五月が中部電力に入部したときも、会社としては『社員が自社に誇りを持てるように』みたいなスローガンだったはず。でも、結果が出てくるとやっぱり『オリンピックは?』という五輪に繋げた質問ばかりになってしまって、それに答えているうちに『五輪目指して頑張ります』という見出しになる。もちろんオリンピックは多くの選手にとって目標の一つだけれど、決してゴールじゃないからね」

平昌五輪での一コマ。「はと美さんのダジャレを捌くことも僕の仕事でした」とはリザーブの平田洸介(左端)

ーー本当にそうですね。そういうメディアの報道も嫌で、今回勇退を決めた部分もあるんですか?

「それは関係ない。基本的にはメディアの皆さんなしではカーリングは盛り上がらないと思っていますので、引き続き、よろしくお願いします」

ーーでは、なぜ勇退を。

「基本的には私がもう、彼らSC軽井沢クラブに教えることはないと思ってるから。投げのクセなども選手同士でチェックできるし、戦術的には彼らの方が知識も豊富。それはここ数年、ずっと思ってた」

ーー五輪は一つの区切りになった?

「そうね。だからエドモントンで五輪出場が決まったときに、平昌で終わりにしようかな、とは思っていました」

ーー五輪で勝っても負けても決まってた?

「結果や順位については正直、もうちょっとやれたかな、という気持ちはあるけど、それは一番、あの子たち自身がわかってると思います。技術的にも戦術的にも自信が出てきているだろうし、自分たちですべてのことをやるべき時期が来ている」

ーー『はと美さんは家族』、彼らは実際にそう言ってたし、恩師でもある。おそらくはと美さんが「来年もやる」と言ったら、彼らとの信頼関係からいって「お願いします」となるってことですね?

「そんないいもんではないけど、そこに私がいたら、あの子たち、先に行けないだろうし。だから『北京でメダルは獲ってね』とは思ってる」

ーーそれは愛のある、重い最後の言葉ですね。チームにはいつ伝えたんですか?

「オリンピックの閉会式の前」

ーーメンバーは驚いた?

「どうだろう。競技が終わった段階で、話すべきことは他にもいくつかあったし」

ーー後任のコーチは?

「まだ白紙じゃないかな。でも、私の意見を言えるなら、世界の戦術を知っていて、選手として実績がある、尊敬を集められる人物。そういう人が就くべきだと思う」

ーー世界ではそういうコーチが増えてますね。

「今回の平昌五輪でいうとグレン・ハワード(スコットランド代表女子コーチ)や、デヴィッド・マードック(スコットランド代表)。そういう指導者が日本にも増えるともっと強くなると思う」