日本カーリング界の「ゴッドマザー」が遺した愛弟子へのメッセージ

男子代表コーチ長岡はと美インタビュー
竹田 聡一郎 プロフィール

「カーラーは、もっと遊ばなきゃだめ!」

ーー男子に関して。最も感傷的になったのはいつでしたか?

「うーん、いつだろう。もう海馬がねえ」

ーー記憶中枢、やられちゃってるんすか。ガチババアっすね。

「だから言ってるじゃない。でも、16年の世界戦(スイス・バーゼル)で4位になったでしょう?」

ーー遡りますね。

「うん。(五輪出場のための)ポイント的には次の世界戦(17年カナダ・エドモントン)に出さえすれば(五輪出場は)大丈夫、という感じだっから、その前(16年)のパシフィック(・アジア選手権/韓国・義城)の準決勝で勝ったときは嬉しかった」

 

ーーオリンピックではどうだったんですか?

「もちろん、特別な試合ではあったんだけど、心から嬉しかったり感動したりっていうのは、たとえば、軽井沢の駅に『頑張れ、SC軽井沢クラブ』って横断幕が出てたり、地元の方に『行ってらっしゃい』って声をかけていただいたり、そんなときなのよね。カーリングについては淡々と練習して準備した感じだったから」

ーー確かに「世界選手権とそんなに変わらない」とコメントしている選手もいました。はと美コーチ自身も?

「そう、世界戦とそんなには変わらない。正確にいうと私はあんまりハイテンションにならないようにしてたかな。それはなんでかっていうと、うちにはハイテンションになっちゃうヤツがいるでしょう」

ー新婚の弟選手(両角公佑)?

「モロ(両角友佑)はハイテンションにはならないけれど、弟に引きずられてしまう可能性もあったし。私は普通のオバサンでいようとは思ってた」

スキップの両角祐佑(左端)と弟の公佑(右端)

ーそれが巷で噂の、賢者ババアモードですね。昔からそういうスタンスだったんですか?

「ジュニアの頃は私も燃えたぎっていたのよ。カナダ遠征に連れてって、『カーラーっていうのはね、もっと遊ばなきゃだめ!』みたいな」

ーーまだ山口選手も清水徹郎選手もいない、創世記ですね。そこで両角友佑選手は、本場のカーリングに強烈に惹かれていたと聞いてます。

「カナダでも特にアルバータのチームね」

ーーカーリングに地域性があるんですか?

「そりゃあるわよ。アルバータってかつては鉱山があって、ゴールドラッシュみたいなことも起きた。石油も出る。それがカーリングに繋がっていると聞いたことがあるけれど、多少、山っ気が強い部分はあると思う」

ーー石を貯める攻撃的カーリングの原点はそこにある?

「私の話になるけれど、長野五輪でスタティスティシャン(公式記録員)を務めていた時に痛感したんです。当時から国内のカーリングはトンカントンカン打つ(テイクアウト)でしょう。それでは世界では勝てないと思った」

ーーそれでアルバータに?

「ちょうど諏訪でアルバータの方を招いてのイベントが開催されていて、そこにケヴィン・マーティンやティム・ヨウが来ていた」

ーーのちの五輪金メダリストですね。

「そう。彼らにお願いしてカルガリーに押しかけた。あれはすごく勉強になった。ケヴィンは、『トップウェイトのショットが世界的に流行するから』と身体ごとラインに出るデリバリーと、5秒台のショットを見せてくれた。うちの選手のデリバリーはみんな大きいスイングで投げているけれど、その影響かな」

ーー海外で取材してて「ジャパンはカナダ人みたいな投げ方をするんだね」と言われたことがあります。

「あの投げ方をする国は少ないかもしれないですね。あとは大人のボンスピル(カーリングのトーナメント大会のこと)にふたつくらい出させてもらって、強いチームにはいいスイーパーがいることを知った。それで、モロにはスイーパーが必要だと思ったのよ」

ーーそれで富良野に行って山口剛史選手を?

「一応、つながりと理由はあるのよ」

ーーただ、そのときから「オリンピックに出たい!」っていう目標は明確だったかといえば……?

「オリンピックなんてまったく、考えてもいなかった」