編集長から食らった“大目玉”
ところが、意を決して執筆に取りかかろうとした矢先に、「待った」をかける出来事が起こった。1987年に刊行されたジャーナリスト、リチャード・ローズの著書『The Making of the Atomic Bomb』(邦題は『原子爆弾の誕生』)が翌88年のピュリッツァー賞を受賞し、大きな話題をよんだのである。

880ページに及ぶその大作を、私は2週間足らずで読破した。かつてのアサヒグラフ同様、この本からも強い衝撃を受けた私は、拙速に自身の著作に着手することをやめ、準備にじっくり時間をかけることにした。
数年間の下調べを経て、執筆に1年間を要した私の初めての著書『原子爆弾 その理論と歴史』の原稿は、新書換算で500ページに迫る大部となった。念願かなってブルーバックスからの刊行が実現することになるのだが、投稿から出版までのあいだに、忘れがたい1つのエピソードがある。
私は自身の処女作を、1995年の8月に刊行したいと考え、それを見計らって編集部に原稿を送っていた。言わずもがな、この年の8月は戦後50年にあたっており、すなわち、日本に原爆が投下されてから──人類史上初めて核兵器が用いられてから、ちょうど50年が経過するというタイミングだった。いわば、原爆50周年に合わせて『原子爆弾』を世に送り出したいと目論んでいたのである。
ところが、ここでまったく予期せぬことが起こった。当時、ブルーバックスの編集長を務めていたYさんから、大目玉を食らったのである。
「確かに戦後50年が経過したとはいえ、被爆による後遺症やがんで日々苦しんでいる人たちがまだまだたくさんいます。そんな状況下で、原爆50周年を利用して本を出し、金儲けしようなどという考えはブルーバックスにはありません」
『原子爆弾』は結局、翌1996年7月に刊行されることとなった。幸いなことに多くの読者に恵まれ、発刊から23年めの現在もなお、書店の店頭に並んでいる。これも、刹那的な商機より、科学書シリーズとしての信頼を維持することを優先した編集部の慧眼の賜物だろう。
