トランプの「イラン核合意離脱」で、米国から世界が離脱する

中東に劇的変化が起きるわけではないが
河東 哲夫 プロフィール

イランは核開発再開には走らない

今回のトランプによる核合意離脱は、共和党の以前からの立場にかなったものだし、またそれはイスラエルによる強力なロビーイングの結果でもある。

これでイスラエルは、イランの核施設を攻撃するフリーハンドを得た。イスラエルは1981年にイラク、2007年にシリアで、それぞれ核開発施設を爆撃、破壊している。

しかしイスラエルからイランに飛ぶにはイラク、あるいはシリア、トルコ、アルメニア、アゼルバイジャンなどの上空を通らねばならない。いずれもイスラエルよりはイランに親しい国で、イスラエルの戦闘機を容易に通すとは思えない。

そしてイランとアルメニアには、ロシアの防空ミサイルS-300が配備されており、これは侮れない脅威である。

さらに、イランは2009年頃までには核兵器開発を停止しており、これは米政府も認めているところである。いまさら関連施設を破壊したところで、象徴的な意味しか持つまい。

 

もともとイランは、1979年パーレビ王朝崩壊までは米国の同盟国で、イスラエルとも関係は良好だったのだ。

そのパーレビ国王は、イスラム教勢力の利権を奪おうとして、これと対立するに至り、1979年イスラム革命が起きる。

代わって登場したホメイニ政権も、ソ連の傀儡ツデー党を粛清したりして、必ずしも反米でなかった。

だが、パーレビに入れ込んでいた米国に在米イラン資産を凍結等されてすっかり反米となり、79年末には米国大使館を占拠して館員を捕虜とすることで、関係を決定的に悪化させた。以後米国は、イランとは断交したままである。

そして、イランが核開発(パーレビ時代からのものの継続)に正式に着手したのは1981年である。北朝鮮と同じく、米国からの脅威にさらされたので、ソ連(現ロシア)を引き込んで核兵器を手に入れようとしたのである。

当時、イスラエルによる核兵器開発が喧伝されていたことも、イランを急がせたであろう。しかし、イランによる核開発の動きは、西側による制裁を招いた。

国連は2006年から数度にわたって制裁措置を取って、イランの原油輸出を阻害するとともに、イランの海外資産を凍結する動きに出た。

このためイランの経済は振るわず、青年人口が過半を数える中で若年失業率は30%弱に達し、反政府の街頭行動が起こるようになる。

イランの権力構造は相対的で、イスラムの最高指導者ハメネイも絶対的な権力を持っているわけではない。

社会不安はハメネイ、アフマディネジャド等有力者、そして革命防衛隊やイスラム僧の運営する特権的財団(ボンヤード)等、イランの経済利権の多くを牛耳る勢力の間のバランスを崩しかねない。

その中で最高指導者ハメネイが米国との話し合いを進めさせた結果、成立したのが2015年の核合意である。彼としても、そんな簡単に核開発を再開できまい。

今回、トランプの離脱宣言に対しても、彼の反応が抑制されたものであるのは、そうしたことを反映したものだろう。

ただし、イランは、2015年の核合意以降もミサイル発射実験を続けている。

2017年6月には、シリアをミサイルで攻撃している。これは射程700キロメートルの「ゾルファガール」で、イラン周辺のアラブ諸国を射程下に入れる。射程2000キロメートルの中距離ミサイルも、北朝鮮のテポドンをベースに開発中と言われる。

核弾頭は未だ備えていないが、これは、イスラエル、サウジ・アラビアにとっては一定の脅威となるだろう。