あの夏の3日間…1966年「ビートルズ来日」を語ろう

高嶋弘之×宮永正隆×上田三根子
週刊現代 プロフィール

高嶋 彼らが来日したことで日本の音楽も変わりました。それまで人気歌手といえば橋幸夫や舟木一夫だったのに、翌年からグループサウンズブームが始まるんです。

宮永 ビートルズがすごかったのは、自分たちで作詞作曲をし、楽器を弾きながら歌ったこと。当時はまだ珍しかった。さらにはベンチャーズより遥かにうるさい演奏は、ロックの王者であり最前線でした。

それだけじゃありません。アイドルがたばこを吸うなんてご法度の時代でしたが、ビートルズのメンバーは隠したりしなかった。ありのままの自分を見せる彼らに、日本の若者は共感したんです。

上田 洋楽に詳しいわけではないのでうまく言えないけれど、高校1年生の私は聴いたことがない音楽にグッと引き込まれました。ファッションもマッシュルームカットも斬新でカッコいい。今までにないバンドだと、一気にハマってしまったんです。

高嶋 でも、実は'64年の日本デビューの直後は、イギリスの音楽は当たらないと言われていたんですよ。ただ僕は可能性を感じていて、色んな放送局に売り込みに行ったんです。

ほとんどの局が相手にしない中、TBSの女性ディレクターだけが「売れるかはわからないけれど、私は好きな曲だ」と言ってくれました。男性は経験で物事を考えがちですが、女性は感性を大事にする。だから、多感な女子学生に向けて売りだしました。

上田 私が初めて聴いたのもラジオのヒットチャート番組でした。

高嶋 ラジオ番組にはちょっと仕掛けがあってね。洋楽好きな高校生たちに電話でビートルズの曲をリクエストさせていたんですよ。でも、それだけではなかなか曲がかからない。

そこで、リクエストの電話受付のアルバイトをしていた学生を数人買収して、同じくイギリスのロックバンド「ザ・ローリング・ストーンズ」とリクエストがきたら、ビートルズに差し替えてもらった(笑)。

上田 そんなことされてたんですか!

宮永 大らかな時代だったんですよね。でも、高嶋さんがビートルズを日本でもヒットさせたからこそ「来日」があり、今のJポップの成熟にまでつながるわけですから、その功績は大きいですよ。

高嶋 ありがとうございます。ただ、僕は来日を機にビートルズ担当を降りました。彼らを超える日本のアーティストを手がけてみたいと思ったからです。

上田 私も来日を境に、夢から醒めたようにビートルズ熱が落ち着きました。でも、ジョンがアートカレッジに通っていたことをきっかけに、イラストレーターを目指すようになったり、コンサートで出会った男性と後に結婚したりと、あの'66年の夏の出来事が私の人生に大きな影響を与えたことは間違いありません。

宮永 その後、マイケル・ジャクソンなどのたくさんのスーパースターが日本を訪れました。

しかし、ビートルズだけは盛り上がりの質が違います。日本人にとって、それこそ宇宙人の来訪に近い経験だった。若者文化のパワーに大人社会が畏れを抱いた結果、日本全体を巻き込んだ大騒動になったのだと思います。

高嶋弘之(たかしま・ひろゆき)
34年兵庫県生まれ。東芝音楽工業(当時)でビートルズの初代ディレクターに就任。『抱きしめたい』等の邦題を付けた。高嶋ちさ子は娘
宮永正隆(みやなが・まさたか)
60年石川県生まれ。編集者として『ちびまる子ちゃん』などを手がけ、その後に音楽評論家に。著書に『ビートルズ来日学』ほか
上田三根子(うえだ・みねこ)
49年埼玉県生まれ。ビートルズとの出会いをきっかけにイラストレーターの道へ。ハンドソープ『キレイキレイ』のイラストなどを手がける

「週刊現代」2018年5月26日号より

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