あの夏の3日間…1966年「ビートルズ来日」を語ろう

高嶋弘之×宮永正隆×上田三根子
週刊現代 プロフィール

宮永 加山さんは彼らとすき焼きを食べたそうですが。

高嶋 僕も同席したかったのに、石坂さんと一緒にマネージャーのブライアン・エプスタインに呼ばれて隣の部屋で打ち合わせでした。その代わり、4人のサインを2枚もらいました。その1枚を甥の高嶋政宏にあげたんですが、どうやらなくしてしまったらしい。

上田 もったいない。

宮永 上田さんは実際にビートルズを見てどんな気持ちになりましたか?

上田 2回とも3階席の端のほうだったので、4人は豆粒くらいにしか見えませんでした。でも、彼らと地続きの同じ空間にいるだけで感激してしまって、登場した瞬間、「キャー」って叫んでいました。

今のライブのように立ったりできないので、座ったまま「ジョン~!」なんて手を振ったりして。

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宮永 ファンが前に行かないように通路に警察隊がぎゅうぎゅう詰めに座ったんですよね。彼らは誰かが立ったら座らせて、英国国旗を振っていたら取り上げて破ってしまった。

だから、観客はハンカチを振るのが精一杯。ただ、歓声はすごかったらしいですね。ビートルズの運転手を務めた方に話を伺った時、「あんなにすごい断末魔のような声は後にも先にも聞いたことがなく、恐怖を感じた」と言っていました。

高嶋 確かに歓声は驚くぐらい大きかったな。でも演奏も歌声もしっかり聞こえました。演奏は全部で11曲。5公演とも同じセットリストでした。

上田 『デイ・トリッパー』や『アイ・フィール・ファイン』などは有名ですけど、あまり詳しくない人からすると全体的には渋い選曲かもしれませんね。7曲目の『イエスタデイ』の時は、会場が静かになったのが印象的でした。

高嶋 ラストの『アイム・ダウン』は、ポールのハスキーがかった声がよくてね。4人の演奏はたった30分ほどだったけど、夢のような時間だった。

嵐のように去っていった

上田 私もとにかくこの時間を大切にしようと集中して聴いていました。そして、コンサートが終わっても興奮が冷めず、ファン仲間と、彼らが泊まっているホテルに行ったんです。

でも、警備がすごくて会えないと思ったので、出国を見送ろうと、そのまま羽田空港に向かいました。

宮永 到着時も帰国時も空港は警備体制が敷かれていてほとんどのファンが追い返されたといいますが、上田さんは大丈夫でしたか。

 

上田 空港のビルとビルの間に夜通し隠れていたんですが、明け方にみんなトイレに行きたくなっちゃって。近くの工事現場の簡易トイレを借りたら通報されて、追い出されました。

宮永 ビートルズが飛行機に乗ったのは、7月3日の午前11時近くですから、惜しかったですね。実際、空港で見送ることができたファンもいたようです。

上田 日本に滞在したのはたった103時間ほど。まさに嵐のように過ぎ去っていきました。

宮永 4人はこの後フィリピン、アメリカで演奏をして、ライブ活動を終了し、スタジオ期に入ります。日本はぎりぎり「ビートルズが来た国」に仲間入りできたわけです。