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あの夏の3日間…1966年「ビートルズ来日」を語ろう

高嶋弘之×宮永正隆×上田三根子
ビートルズ来日
66年6月30日~7月2日の日本公演のためにザ・ビートルズが初来日。新聞や週刊誌による報道は過熱し、チケット騒動や会場問題が勃発した。ファンの暴動を回避するために103時間の滞在に動員された警官は延べ約8400人。約6500人の少年少女が補導されるという社会的ブームが巻き起こった

台風の影響で到着は10時間半遅れ。嵐とともにやってきた世界最高のロックバンドは日本に旋風を巻き起こした。4人が揃った最初で最後の来日公演を振り返る。

教師やPTAが猛反対

上田 ビートルズが'66年に来日することを知った時は、「キャー」って飛び上がって喜びました。

当時、私は高校3年生で、彼らが'64年に日本デビューしたころからのファン。ビートルズ・ファン・クラブ(BFC)にも入っていて、「絶対にチケットを手に入れようね」ってファンクラブ仲間と興奮しながら話したことを覚えています。

宮永 僕は来日時はまだ幼稚園児です。解散3年後にビートルズを知り、好きが高じて彼らの評論活動を始めました。でも、熱狂ぶりは不思議と覚えているんですよ。

男性なのに女子みたいな長髪を馬鹿にして、「うえ~、気持ち悪い」と子供ながらにふざけていた。男の髪は短いという昔ながらの常識が園児の僕にもあったのでしょうね。

高嶋 来日が決まって、教師やPTAは大騒ぎでした。コンサートに行ったら退学だ、なんていう学校もありました。でも大人が反対すればするほど、若者は反発して興味を持つもの。

当時、東芝音楽工業でビートルズを担当していた僕としては逆にいい宣伝になるな、と思っていました(笑)。

宮永 武道館コンサートは6月30日の夜、7月1日と2日は昼と夜の計5回の公演がありましたが、上田さんはどの回に行かれたんですか?

上田 実は私、1日の昼と2日の昼夜の3枚のチケットを持ってたんです。

高嶋 えっ! それはすごいな。僕が見たのは初回の30日夜の1回だけ。チケットが足りなくて、東芝の社員でもほとんどが行けなかったくらいなのに。

上田 BFCに入っていたので1枚は簡単に確保できました。残りの2枚は協賛だったライオンの懸賞に当選したんです。

ライオンの歯磨き粉や制汗剤についている応募券で申し込むんですが、たまたま仲のいい子の家が薬局をやっていて。協力してもらって、何口も応募しました。

 

加山雄三と4人が対面

宮永 当時、ビートルズファンの子供がいる家庭では、歯磨き粉が余って仕方なかったといいます。しかも、上田さんは今ではそのライオンの商品のイラストを描かれている。不思議な縁があるものですね。

上田 本当ですね。ただ、3枚手に入れたはいいものの、さすがに2日間も学校を休めないから、1日のチケットはファン仲間に譲って、2日の昼と夜の公演に行きました。

体育の授業を休んでコンサートに行ったら成績を落とされてしまって。後日、先生に文句を言いに行きましたよ。