20世紀のメディアの主役となる岩波茂雄と正力松太郎「青春の日々」

【新連載】大衆は神である②
魚住 昭 プロフィール

鈍才にして出世した不思議な男

そんな正力は、大学の同級生にはかなりハタ迷惑な存在だったらしい。というのも、正力は試験前の一、二週間、友人のノートを借りて片っ端から読破して試験を受けた。それでどうにか中以上の成績を占めていく。だが、ノートを借りだされたほうはたまらない。

四高以来の友人である三辺長治(みなべちょうじ、=のちの内務官僚)はいつも首席の秀才だったが、あまりに正力にノートを借りられたおかげで、卒業試験には自分の勉強がロクにできず、とうとう3番に下がって終生損をしたという。『伝記 正力松太郎』にはこんな正力評が載っている。

 

〈(正力は)決して注目されるような秀才ではなかった。その上、中学校の卒業成績はビリから三番、そこで官界はもとより郷里でも、正力は鈍才にして出世した不思議な男ということになっている。郷里の大門町や高岡では、中学校を危く卒業し損なった程の鈍才でもあんなに出世出来るのだから、学校の成績などは当てにはならないと、怠け者や鈍才共の言いわけの道具に使われる有様である。

そればかりか、彼の兄の子即ち甥たちまでも、叔父さんは学校は出来なかったが人間が偉らくて出世したのだと思いこんでいる。ところが正力にいわせると、元来は秀才なのだが蓄膿症という不治の持病があることと、書物の勉強などは落第せぬ程度で沢山と思って勉強しなかったため、大学の席次が悪かっただけだ、というのである〉

〈鈍才にして出世した不思議な男〉正力は、岩波や滝田のような煩悶とも無縁だった。彼にあるのは、火の玉のような闘争心と実戦的な着想の豊かさである。それらは、越中富山の苛酷な自然との闘いのなかで育まれ、祖父・庄助から父を通じて受け継がれてきたものだろう。

正力はその生涯を通じ、三度にわたって刑務所・拘置所入りを経験する。暴漢に首を斬られて瀕死の重傷を負ったこともある。それでも正力は生きながらえ、やがて「プロ野球の生みの親」「民放テレビの始祖」「原子力の父」と呼ばれるようになる。

晩年の正力松太郎

(続く。次回は、5月27日に掲載予定)