私が生まれた地球には、私の属する場所がない。ロヒンギャ青年の証言

「無国籍」であるということ
望月 優大 プロフィール

取材後記:人間の権利について

バングラデシュでロヒンギャ難民問題の取材をした。

昨年8月の危機発生からすでに半年以上が経過し、この夏で1年を迎える。

青年の言葉にもあった通り、ロヒンギャの人々はバングラデシュに逃れてもなお根源的な不自由の中を生きている。そしてその不自由が解消される見通しは今のところない。ストレートに言えば、難民キャンプへの閉じ込めと安全の保証や様々な支援はセットになっている。

足りないのは善意というわけではない。バングラデシュの人々はむしろ同じムスリムとしてロヒンギャの苦境に対して大いに共感を示し、「最貧国」とも言われる経済状況の中でギリギリの支援をしてきた。

難民キャンプの現場では官民両方のバングラデシュ人たちが、国際NGOなど世界各国から集まった支援団体とともに必死になってロヒンギャ難民の生活を支えているような状況だ。

(C)Kazuo Koishi

キャンプでの生活が長期化し、大規模な流入があった当初の緊急状況とは雰囲気も変わってきている。選ばなければ食べるものはある。病院もできた。初等教育の支援も始まっている。

しかし、根本的なものは欠落したままだ。心ある支援者たちがどれだけ力を振り絞っても、与えられないものがある。それが、人間の権利であり、市民権である。青年はそれを「そこから全ての機会が生まれてくる」ものと表現していた。

ハンナ・アーレントはかつてこう書いている。

「人権の喪失が起こるのは、通常人権として数えられる権利のどれかを失ったときではなく、人間が世界における足場を失ったときのみである。この足場によってのみ人間はそもそも諸権利を持ち得るのであり、この足場こそが人間の意見が重みを持ち、その行為が意味を持つための条件をなしている。」(『全体主義の起源 2 帝国主義 [新版]』315頁)
(C)Kazuo Koishi

現代の難民問題の本質は、諸権利のもとになるこの根源的な「足場」の喪失にあり、同時にこうして足場を喪失した人々が地球の様々な場所で毎年大量に発生し続けているということにある。

例外的な話ではないのだ。人間の難民化は日常的に発生している。人間の国民化による足場の提供は日々失敗し続けている。

UNHCRによれば無国籍者は1000万人、強制避難民(forcibly displaced people)は6500万人を超える。世界人口の1%にも迫る規模感だ。