私が生まれた地球には、私の属する場所がない。ロヒンギャ青年の証言

「無国籍」であるということ
望月 優大 プロフィール

脱出

2017年8月25日の夜、たくさんの爆発がありました。田舎の親戚から「村が燃やされ、バングラデシュへ逃げている」という連絡がありました。彼らがスマートフォンで撮影した動画も送られてきました。

市街地からはマウンドー周辺の村々の方で煙が立っているのが見えました。Facebookでも人々が撮影したたくさんの動画が流れていました。殺される子どもたち、レイプされる女性たち。軍隊は剣や銃でロヒンギャを殺害しました。家の外から鍵をかけて丸ごと燃やしてしまいました。

 

私たちは彼らが自分たちの家まで来ることを恐れていました。何しろ2012年に一度家が燃やされているわけですから。

私たちの家は病院のすぐそばにありました。そこにたくさんの死体を積んだトラックが毎日何台も入っていくのを見ました。もちろん、村で殺されたロヒンギャの人々の死体です。

国境近くに住む人たちに相談しました。「こっちに来ても大丈夫だ」という確認が取れたので、私たち家族もマウンドーの家を捨て、バングラデシュに逃げることにしました。

(C)Arnaud Finistre / MDM

両親から「まずお前たち二人が逃げなさい」と言われました。私と兄の二人です。

両親やほかの家族も翌日かその次の日に追いかけてくる予定だったのですが、結果的に軍の見張りが厳しく叶いませんでした。

家族の中でバングラデシュに逃げられたのは最初の二人だけで、両親たちは今もマウンドーにいます。

私と兄が家を離れたのは9月1日です。クルバン(イスラム教の犠牲祭)の日でした。服を2〜3着、大学入学試験の合格証や家族のリスト、ミャンマーでの身分を証明するテンポラリーカード、ミャンマーの有名な人々の物語が書かれた本、そして移動に必要なお金を持って家を出ました。食事は家で済ませ、食べ物は持っていきませんでした。

幸運なことに、マウンドーから国境のナフ川まではとても近く、歩いて10分ほどの距離しかありません。私たちは幸運でした。

ラカイン州の別の場所に住んでいた私の友達は、バングラデシュとの国境にたどり着くまで8日間、山や川を越えて歩かなければならなかったと聞きました。

その日の夕方5時ごろ、ナフ川のそばの村に着きました。私たちはそこで2時間ほど待機していました。

私たちに用意されたのは乗員12人の小さなボートで、船頭は近くの村に住むロヒンギャです。私たちのボート以外にもたくさんのボートが川を渡ろうと控えていました。

(C)Arnaud Finistre / MDM

大きなライトが薄暗い川を照らしていました。ミャンマー軍に見つかると銃で撃たれてしまいます。私たちは木の陰に隠れてその時が来るのを待っていました。川では知り合いの遺体も見ました。

ボートに乗って少しずつ川を渡っていきました。通常は1時間ほどで渡れる川ですが、その日は3時間かかりました。

そして、向こう岸に着くより前に、船頭から川に降りるようにと言われました。お腹くらいの深さのところでした。そこからは歩いてバングラデシュに渡りました。船頭はミャンマーへと戻っていきました。

ようやくバングラデシュに着いても安心はできませんでした。バングラデシュの警察がいると聞いていたからです。

川岸の村の人々から家に隠れるように言われました。しかし、彼らからは対価を要求されました。その夜のうちに家を出て、バングラデシュの中へと向かって歩いていきました。