(C)Arnaud Finistre / MDM

私が生まれた地球には、私の属する場所がない。ロヒンギャ青年の証言

「無国籍」であるということ

2017年8月25日に発生した大規模なロヒンギャ難民危機。命の危険を感じてミャンマーのラカイン州マウンドー郡から隣国バングラデシュへと逃れた21歳の青年から話を聴くことができた。

彼は涙を流すでもなく、自らの境遇を淡々と語った。その境遇が、彼を21歳とは思えぬほど成熟した存在へと変化させているように思えた。努めて明るく話す口調の中に、時折深いため息が混じっていた。

彼の身の安全のために、そして今もミャンマー国内にいる彼の家族の身の安全のために、情報を一部加工している。

危機以前

8月25日に始まった危機の前、私はラカイン州マウンドーの市街地に住んでいました。当時の暮らしは「まあOK……」といったところです。

2014年に大学入学試験を通過したのですが、ロヒンギャであることで大学への進学も認められず、仕事も全くありませんでした。

こうしたことは今に始まったことではなく、2000年よりも前の時代から、私たちの機会はゆっくり少しずつ剥奪されてきました。私たちは学校の教師になることもできなければ、政府の仕事に就くこともできません。

 

私たちはミャンマー政府からバングラデシュ人、ベンガル人だと言われています(ミャンマー人ではなく外国人であるという意味)。

だから、他のロヒンギャと同様、私は自分で自分の仕事をつくらなくてはいけませんでした。それで地域の高校生たちに自分の家で物理を教えていたというわけです。わずかですが、家族の生活費の足しにはなっていました。私の家族は9人家族です。両親、5人兄弟、2人姉妹です。

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ラカイン州内部においてさえ、私たちに移動の自由はありませんでした。マウンドー郡の外に出たことは一度もありません。マウンドー郡の中ですら、たくさんのチェックポイントで役人に書類を見せなければ移動ができない状況です。つまり、そこでラカイン族の役人から賄賂を要求されるということです。

私は私の国が見てみたい。首都のヤンゴンに行ったことなどもちろんありません。決して行くことはできないのです。ラカイン州都のシットウェーも危険です。住民のほとんどがラカイン族ですから。

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2012年、シットウェーに住んでいたムスリムの家が燃やされ、たくさんの人が死にました。生き残ったムスリムはシットウェーに作られたキャンプへと移送されました。

彼らシットウェーのロヒンギャには、私たち(=ラカイン州北部のロヒンギャ)と違って逃げる場所がないのです。マウンドーからはバングラデシュに逃げることができます。しかし、シットウェーからはどこにも逃げ場がないのです。

2012年はマウンドーでも迫害がありました。私たちの家も国境警備隊やラカインの人々に燃やされてしまいました。本当に立派な家だったのですが……。

兄の一人はその頃サウジアラビアへと逃げました。マウンドーに残った家族は、元の家より小さな家に移って暮らしていました。