石井光太さん記事バックナンバーはこちら http://gendai.ismedia.jp/list/author/kotaishi
発達障害の割合は、15人に1人と言われている。
彼らは様々な形で生きづらさを感じて成長することになるが、成人した後は職に就いて、結婚して親となることもある。
親になったからといって、彼らの発達障害が治るわけではない。これまでと同じように問題を抱えて日々を過ごすのだが、「育児」という責任が加わることで、余計に多くの困難にぶつかることがある。そして、場合によっては、それが育児困難という形として表れるのである。
折口明奈(仮名)は、小学五年生の時に発達障害の一つADHDであると診断された。
数年前から、明奈は原因不明のいらだちに襲われることがあった。突然体に何かが降りてきたように激しい憤りがこみ上げてきて、いてもたってもいられなくなるのだ。
教室で授業を受けている時に突然暴れだしたり、ご飯を食べている時に食事をひっくり返したりする。寝ていても、そういう精神状態になることがあり、はね起きて親に殴りかかる。
こうした症状は、学年が上がるにつれてひどくなり、体が大きくなってからは、同級生に怪我をさせたこともあった。
両親は、明奈の粗暴な行動に手を焼き、学校からの勧めで精神科で診てもらったところ、ADHDの診断がくだされたのである。
医師は薬を処方して言った。
「これは心を落ち着ける効果があります。思春期は精神的にも不安定になりますので、きちんと服用させてください」
薬を飲みはじめると、明奈は自分でも驚くほど心が穏やかになった。これまでのようないらだちに襲われることもなく、世界が180度変わったようだった。以来、明奈は薬のおかげで中学、高校と大きな問題を起こさずに過ごすことができた。
高校を卒業した後、明奈は地元にあるメーカーの工場で働くことになった。だが、わずか1年の間に、立てつづけに身内に不幸が起こる。母親に末期ガンが見つかり、余命半年を宣告されたのだ。さらに、父親がうつ病で会社を辞職することになった。
父親はうつ病と妻の介護で苦しみ、7ヵ月後に自殺。母親も後を追うように病死した。
明奈は賃貸のマンションで暮らせなくなり、当時付き合っていた四歳年上の夏央(仮名)と結婚し、彼の実家に住むことになった。