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同性愛を「治そう」としたものの諦めた「レズビアン作家」の告白

私が一番されて困る質問は何でしょう?
王谷 晶 プロフィール

少なくとも異性愛は選択できなかった

じゃあ全ての恋愛やセックスの志向は明確な個人の意思でもって選ばれており本人の気持ち次第で決定・変更できるのか。というとこれもまた違う気がする。

私は何度か同性愛を「治そう」と努力したことがあるけれど、全て見事に失敗しちゃったからだ。推してる男性俳優や好きな二次元男子キャラはいるのでなんとかいけるんじゃないの、と思ってトライしても、異性に恋をしたり愛することがうまくできなかった。気合や理屈だけでは動かせないものが、私の脳味噌や下半身には存在している。自分が同性愛を選択したとは思っていないけど、少なくとも異性愛は選択できなかった。

 

それに、実行すると明らかに本人や相手や社会の不利益になる欲望(切腹しないと興奮しないとか、他人の首を締めないと興奮しないとか、子供に欲情してしまうとか)を抱え、苦しんだり「治療」を試みてもうまくいかないと悩んでいる人たちも大勢いる。そういう人たちに気軽に「意思の問題でしょ」とはとても言えない。

「じゃやっぱり本能なんですよ。性愛の志向は一人ひとりが持っている大切な個性で、変えることは絶対にできないんです」

そうなのかなあ。

この「セクシュアリティは選択か本能か」についてウダウダ考えていたとき、1本の映画を観た。『アイ・アム・マイケル』という映画だ。日本ではNetflixで視聴することができる。実話を元にした物語で、同性のパートナーと共に熱心にゲイの人権活動を行っていたマイケルがパニック障害に苦しんだ末キリスト教の教えにのめり込みパートナーと破局、そして突然「元ゲイ」としてアンチゲイ宣言をブログで発表、聖書学校に入り牧師となり女性と結婚するという物語だ。

つらい映画である。パートナーと愛し合いゲイライフを謳歌し、若いゲイたちを悩みから救うために奔走していたマイケルが、激しくゲイを否定し、神は同性愛を赦さないという記事を書き、女性を心から愛していると言い出す。マジでつらい。主人公はマイケルだけど、どうしても、手ひどく心変わりされ今までの関係をまるごと否定されてしまったマイケルのパートナーの気持ちで観てしまう。

なぜマイケルがゲイであることをやめたのか、理由は明確にはされていない。病気や宗教や家族との過去が原因と見れなくもないけど、作中で確実にそうだとは提示されていない。なんでだよ、と思った。そこをハッキリさせてくれないと、納得できないじゃん。納得させろ。どうして? 理由は? きっかけは何? 

そこまで考えてはっとした。