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「他人を恨んでいたらダメになるぞ」父の古い友人が教えてくれた言葉

現役証券マン・家族をさがす旅【15】

現役証券マンにして作家の町田哲也氏が、実体験をもとにつづるノンフィクション・ノベル『家族をさがす旅』。

2度の手術を乗り越え入院中の78歳の父は、20代のころ岩波映画でカメラマンとして働いたものの挫折、その後は工場勤務などを経てパン屋を開業した。証券会社に務める息子の「ぼく」は、これまで知らなかった父の過去を知るために、仕事の合間を塗って、かつての知人を訪ね歩いていた。

唯一、父を叱ってくれた人

30代のどっちつかずの生活をしていた父を知る友人の松田信介の話を聞くため、南越谷にある野川発條の本社に行ったのは10月8日のことだった。松田氏は野川発條の社長で、今でも現役だ。アポを取ったときには、仕事の関係でできれば週末の午前中が良いとのことだった。

新宿から埼京線で武蔵浦和に向かい、武蔵野線で南越谷に出る。妻には子どもたちと新三郷のららぽーとで遊んでいてもらい、ぼくは一人で野川発條本社に向かった。

「タクシーで来るなら住宅展示場の裏っていえばわかるよ」という松田氏の説明通り、モデルルームの向こうに大きな看板が掲げてある。10時にはまだオープンしていなかったが、帰りにはキッズスペースに子どもがあふれていた。

松田氏は服装こそ工場のおじさんといった風情だったが、話し方もしっかりしており現役の経営者らしい威厳を感じさせる。父と同じく昭和14年(1939年)生まれの78歳。父と知り合ったきっかけは、父の伸和発條での勤務時代だった。

 

当時、伸和発條は墨田区金町に工場があり、同じ地区に工場があった野川発條と取引があった。野川発條は松田氏の妻の実家が経営していた会社で、社内で気の合う仲間に飢えていたのだろう。同じ年の父とはすぐに仲良くなった。

父が伸和発條に勤務したのは、1971年4月から8月の5ヵ月だけだ。その間幾度となく飲みに行く関係だったというが、松田氏の父に対する印象で強く憶えているのは、人の上に立とうとする意識の強さだ。

今でこそこんな仕事をしているが、自分はいつか大きくなってやる。とくに映画がうまくいかなかったことは松田氏も聞いており、悔しそうにしていたという。父が32歳の時のことだった。

一方で、実行力と営業力の強さも記憶に残っていた。伸和発條での勤務が短期間に終わった父は、大島産業に近づき自動給茶機のビジネスを手掛けようとするが、あっけなくそのプランはついえていく。

パン屋が儲かるといって、野川発條の店舗を使わせてくれといってきたこともある。それは松田氏が、今まで見たことのない種類の行動力だった。

当時の父との会話で憶えているのは、たまにかかってくる電話だった。

「彼女でもできねえかな」

父のとぼけた口調に、松田氏が怒鳴った。

「何バカなこといってるんだよ」

「いいじゃねえか」

「パン屋になるっていうから、お前なんかに奥さんがわざわざおにぎりを作ってくれてるんだろ。勘違いするなよ」

パン屋の見習いをしていた頃のことだ。どんなに逆境でもへこたれない精神力の強さを、父は持っていた。

口が悪いのは昔からだ。誰とでもケンカ別れしてしまうので、仲の良い友だちがいない。松田氏が唯一、父を叱ることのできる存在だったのだろう。何をいわれても気にしないおおらかさに、父が甘えていた面もある。

松田氏が何度も口にしたのが、母がいたから父が助けられたという言葉だ。

当時母は障害児向けの専門学校で職員として働きながら、週末はパン屋の店番をしていた。松田氏自身、妻の介護を10年間続けてきたそうで、強い思いがあるのだろう。実感のこもったいい方だった。

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