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ロッドマンが殿堂入りの舞台で演じた「壮観たる大失敗」について

「宝探し」をめぐる考察 第4回
米コロンビア大学を卒業後、ゴールドマン・サックス証券、国外ヘッジファンドを経て、現在、株式会社CTBの代表を務める筆者が、社会のアクティビティにひそむ「宝探し的虚構」を解き明かす連続シリーズ。第4回目は、殿堂入りを果たしたデニス・ロッドマンがクライマックスで演じた大失敗について――。

⇒第1回【社会にはびこる「遊戯の構造」を検証すべき時がきた
⇒第2回【金融業界人の正気を保つ「利益確定」なるマジックワード
⇒第3回【美術作品から「作者」と「額縁」を取り除いたあとに残るもの

今この場所で、目の前の過剰なものと戯れる不安から逃げて、代わりに、いつか未来の、どこか遠いところで発掘される宝物を求めて冒険に出る。適度に刺激的でありながら、決まって絶望的な展開を免れる宝探しの遊戯が、社会のあちこちで演じられている。

デパートの催事会場で、金融市場で、あるいは現代美術のギャラリーで、繰り返される遊戯を三回に渡って検証してきた今、宝探しの物語のクライマックスに目を向ける時が来ている。

 

衰えた中年男の醜態

まもなくクライマックスが演じられる会場で、華やかに着飾った男女が、一人の男の登場を待ち侘びている。

この日、ついに殿堂入りを果たす男の名が読み上げられると、祝典のためにマサチューセッツ州スプリングフィールドに足を運んだ男女は、主人公の姿を一目見ようと、いっせいに会場の後方を振り返る。

だが彼らの視線が、男の顔を捉えることはない。代わりに、カスタムメイドの毒々しい衣装に、金色に染められた髪、そして大型のサングラスに、顔中を覆うピアスが彼らの視線を奪うだろう。

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まるで、素顔だけは見ないでくれと懇願するかのように、装飾品を塗して男女の視線をかわす男は、かつてコートの上で見せた頼もしい風貌をもはや持ち合わせてはいない。現役時代、自分よりひと回りもふた回りも大きい選手を相手に、一度として怯まなかったデニス・ロッドマンの、これほど心許ない姿を、我々は目撃したことがないのだ。

だが2011年のこの日、5年前に引退したバスケットボール選手は、ネイスミス・メモリアル殿堂に迎え入れられる。バスケットボールを志す者にとって最高の栄誉であるとともに、この瞬間、この場所に辿り着くまでのすべての経緯が、理非曲直にかかわらず正当化される、物語のクライマックスである。

宝物はもう目前なのだから、あとは決められた通りに花道を歩き、舞台に上がって、キャリアを支えてくれたコーチ、チームメイト、家族に向けて、適度の謙遜を含む謝辞を述べればそれで良い。もし望むなら、若い選手に激励の言葉を送っても良いだろう。また、特に憂慮する社会問題があるなら、この機会に一定の立場を表明しても差し支えまい。

いずれにせよ、この種のスピーチは儀礼の一部なのだから、主人公に求められるごく慣習的な所作を演じさえすれば、物語は無事完結する。会場に集まった男女の誰もが、そうなることを期待しているのだ。

そして、ついに殿堂入りを果たす本人も、おそらく遊戯の滞りない完結を望んでいる。なるほど、若い頃は、予定調和的な物語に迎合することを嘲笑したし、また、周囲の善良な期待を裏切り続けることに、少なからず快感を覚えさえした。

だが50歳になり、かつての鍛え上げた肉体を失った今、長年に渡るアルコールの摂取によってむくれた顔を晒してなお、悪役を気取るつもりなどいささかもない。悪役といっても、結局は予定調和的な物語の一部として機能せざるを得ないことに、もう随分前に気付いたのだから、今や遊戯に抗う美学も体力も持ち合わせてはいないのだ。