成功者が「性暴力」で人生を棒に振ってしまう根本理由

パワーの行使と乱用の違いを知ろう
藤岡 淳子 プロフィール

暴力とパワーヒエラルキー

ギリシャ神話にあるナルシスの話(ナルシストの語源)をご存知だろうか。

美少年ナルシスは、自分しか愛せない人で、水辺に映った自分の姿に見惚れて、根が生えて水仙になってしまったという話だ。

その話には前段がある。森の妖精エコーは、全能の神ゼウスの浮気を手伝ったことで、ゼウスの妻ヘラによって「相手の言うことを繰り返す」しかできないという呪いをかけられている。

エコーは、美少年ナルシスに恋をして告白するのだが、こっぴどく振られてしまい、悲しくなって森の奥深く深くへと進み、何も口にせず、ついには、身体は消滅して声だけの存在になってしまう。

今でも山の奥に行って、「ヤッホー」と声をかけると、「ヤッホー」というエコー(木霊)が返ってくる。

エコーの友人の妖精たちは、エコーがこうなったのはナルシスのせいだとし、復讐の女神ネメシスに、復讐を依頼し、ネメシスは、そんなに自分のことが好きならずっと自分だけを見ていろという呪いをナルシスにかけた。

 

はじめ、これは非行のある少年少女とその親、そして世間のことかと、筆者は思った。

自分のことしか見えていない少年ナルシス、自分がない少女エコー。親は親で勝手なことをしている。ゼウスは、人を巻き込んで浮気をし、ヘラは、不満があればゼウスと話し合うべきであるにも関わらず、エコーに八つ当たりをし、ナルシスがエコーを拒否したのはナルシスの自由であるにも関わらず妖精たちはそれを怒り、事の是非善悪に関わらず、ネメシスは、「復讐(処罰)」することによって、何か良いことをしたような気になる。

その関係の中で、ナルシス、エコーは一方的に被害を受け、ヘラは被害を受けて加害を加え、妖精とネメシスは、関係ないのに暴力的に介入し、ゼウスは関係大有りというか、ゼウスが浮気しなければこんな被害と加害の連鎖は生じていないのに知らん顔をしている。ゼウスがパワーヒエラルキーの最上段にいるからである。

〔PHOTO〕iStock

「非行」とか暴力とか言って、その人が悪いかのように糾弾されるが、確かにやった行動は悪いが、結局はパワーヒエラルキーの上か下かということなんだと、「わかった」気がした。

我ながら少しひねくれているようにも思うが、そんなに彼(女)ばかりが悪いのか、そんなに私たちは彼(女)を非難できるのかという思いを拭えない。

パワハラという呼称は、それ自体がパワーの乱用という意味を内包する。一方、セクハラ、暴力、犯罪といった対人間における被害と加害は、あまり意識化はされていないように思われるが、常にこのパワーの不均衡と、乱用の問題をはらんでいる。

私たち一人ひとりが自身の持っているパワーに無自覚なとき、その乱用を行い、あるいはそれを許容し、社会に暴力を生み出す手助けをしているのではあるまいか。