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田舎から東大入って絶望した彼に北海道の単科大学教授が伝えたいこと

釧路に戻り「文化と教育の格差」克服を

地方と都市における「文化と教育の格差」について論じた阿部幸大氏の論考は大きな反響を呼んだようである。阿部幸大氏の主張を要約すると、地方(「田舎」)と都市(「東京」)の間には、所得の格差や社会的インフラなどの充実度の差などとは異なる、目に見えない「文化と教育の格差」が厳然として存在する、というものだった。

問題なのは、それが「目に見えない」ものであるがゆえに、地方に住む人々は「田舎」と「東京」の間に大きな「文化と教育の格差」が存在することに気づいていない。

そして、その格差が原因で、地方に住む前途ある若者たちが、自分の可能性に気付かぬまま「田舎」に埋没してしまうことこそ危惧されるべきだ、という結論が導き出されている。

北海道東部の釧路市出身の阿部幸大氏は、釧路がことさら「田舎」であることを強調しているため、釧路をはじめとする地方在住の読者から反発もあったようである。

地元出身者は「おおむね共感」

私自身も北海道の地方都市出身であるため、阿部氏の言わんとすることは十分理解できる。ただ、釧路出身者が阿部氏の主張についてどう考えるかについては、何とも言えない。そこで、複数の釧路出身、阿部氏と同じく釧路市内の高校卒業者に阿部氏の論考を読んでもらい、その感想を聞いてみることにした。

その結果、「多少、誇張されている部分はあるものの、おおむね阿部氏の主張には賛同できる」という反応が返ってきたのである。阿部氏とほぼ同年代の男性が記した感想の一部を抜粋してみる。

「釧路と札幌・東京を比較すると、やはり教育格差や進学意識の差は確かに大きいです。私の場合には、親戚のなかに大学に通う従兄妹がいたこともあり、大学を含めた進学のイメージが描きやすい環境にありました。また、高校進学に向け学習塾に通っていたことも高校の先に大学という上級教育機関があると認識するきっかけになりました」

「阿部氏の主張通り、この機会を得るには家族の経済力や自分の子供に対する教育意識が影響していきます。もし生活が厳しい場合や身近に進学する知人がいなければ、より進学というものが疎遠になると思います」

確かに、阿部氏の主張する通り、北海道の地方では進路先の選択肢が限られているので、中学の段階で学力(偏差値)により生徒が輪切りにされて高校が決まり、さらに進学先の高校によってその先の進路が決まるという現象が見られる。

そして、機会を与えられるか、本人がその気になるかして首都圏の大学に進学するのは、その地域の名門校(進学校)に進めたごく少数である。大多数はその地域で進学・就職するか、北海道内で(特に札幌で)進学・就職するかのどちらかである(これについては後述)。

 

「モノの格差」は縮まったが

吉幾三がヒット曲『俺ら東京さ行ぐだ』を歌ったのは1984年のこと。この歌は「俺らの村」に文明の利器やライフライン、社会的インフラがないことを自虐的に羅列し、こんな村いやだ、東京に出る、と歌い上げる。

この歌で「村にない」とされたのはテレビ、ラジオ、カラオケの機械などの電気製品や喫茶店、薬屋、映画館、ディスコなどの商業施設。「たまに来る」とされているのは「バス」と「紙芝居」である。

何しろ新聞も配達されず、電話も電気も通じていないのだ。さすがに1984年の時点でも、よほどの山間か離島でもない限り、こんな田舎は存在しなかった。そのため、吉の故郷である青森県北津軽郡金木町(現・五所川原市)をはじめとする全国の農村からは抗議が殺到したという。

さて、それから30年以上の年月が過ぎた。ガスや電気などのライフラインは当時よりもずっと整備され、ネットや通信機器の発達で、テレビやラジオ、新聞がなくても、いくらでも情報は手に入る。地方交通網の衰退、買い物難民、限界集落などの問題はあるけれど、都会と田舎の間の生活格差はかなり縮まっている。