魚住昭が「講談社秘史」を通して近代日本を描く理由

連載直前インタビュー
魚住 昭 プロフィール

日本の近代を突き動かした「哲学」

――話を、連載の冒頭から描かれる、講談社の創業前、明治期まで戻したいのですが、これから公開される明治期の部分では、野間清治だけでなく、同じ時代に生きたメディア人についても描かれています。岩波書店の創設者・岩波茂雄、中央公論の名編集者と謳われた滝田樗陰(哲太郎)など、多士済々ですね。

魚住: 野間清治という人物が、どんなキャラクターかといえば、実は意外なほどいい加減なところのある人間なんですよ(笑)。そんな男が、大衆雑誌というメディアを立ち上げ、講談社という巨大な企業体を作り上げる話を、まずは描いていきます。そして、野間清治について描くために、彼の周りにいた人物を描き、その関係性を描いていこうと考えています。ある種の群像劇にしていきたい。その人たちが生きた時代、若い頃からの関係性の濃さ、旧制の第一高等学校という環境……そこから筆を進めていきます。

 

――詳しくは連載を待つとして、野間清治とはどんな人物だったのか、もう少し教えていただけますか。

魚住: そうですね。日本における「立身出世主義」といういわば宗教の、教祖のような人物といえるかもしれません。そして、野間が実践した立身出世主義は、日本が発展していく原動力になりました。

ごくかいつまんで言うと、明治以降、日本で盛んに勧奨されたのは「修養主義」ですね。これは、勤勉さを忘れず、努力で高みに届こうとする試みです。具体的には、「末は博士か大臣か」ではありませんが、一高、帝大、そして中央の官僚か学者になるのが、若者にとっての栄光のエリートコースとして定められたわけです。しかし、そんな社会で生き残れるのは、実はごく一握り。現実には、落伍者が増える一方になります。このことは、現代の日本社会にも通底する問題を生んでいます。

そんな中で、野間清治はどういう主張をしたか。それは、99%はエリートコースからは落ちこぼれ落ちる。けれども、たとえば中学に行けないような恵まれない境遇でも、「修養を怠らなければ、のぼりつめることができる」ということなんですね。野間自身、それを強烈に体現した実行者でした。そんな彼は、いわば世俗的な宗教を生み出したと言ってもいいでしょう。

たとえば、講談社では長らく「少年部員」という少年たちが働いていました。中学にもいかない少年たちが、子供ながらに雑誌の配送や掃除、経理の補助などをこなした。なかには正式な社員になって、幹部にまでなった人もいる。まさに、立身出世主義を教義とした「野間宗」の体現者と言えるでしょう。

この時期の、日本における修養主義の二大スターが、実は野間清治と新渡戸稲造なんです。そして、彼らには密接なかかわりがあった。こういうことは、ほとんど知られていませんから、ぜひ書いていきたいと思っています。

[写真]一度まとめられた原稿にも大幅な削除の痕跡が無数にある。「とくに戦争にまつわる箇所には多いんですね」と魚住氏。一度まとめられた原稿にも大幅な削除の痕跡が無数にある。「とくに戦争にまつわる箇所には多いんですね」と魚住氏。

――野間清治は戦前に日本の出版界を切り開き、ビジネスとして大成させた人物ともいえますね。創成期に、新しいメディアを生み出し、成立させる時代の熱量に触れることができるのは、こうした物語の楽しみ方のひとつではないかと思います。現代に置き換えれば、ベンチャー企業が活躍するネット媒体の発展とも重なる部分があるのではないでしょうか。

魚住: うーん、たしかにそういう側面もあるかもしれませんが、そこまでシンプルな、ビジネスの草創期を描く物語とは、ならないでしょう。

重ねていうようですが、巨大企業となった講談社の歴史には、光と陰がある。その講談社の「陰と陽」を、この連載では追っていくつもりです。それが、ひいては現在に至る近代以降の日本の歴史の中で、メディアが何をしてきたのか、今、私たちが向き合っている問題の根底には何があるのかを、少しでも浮き上がらせるのはないかと思います。書き手としてはしんどい道のりですが、読者に楽しんでいただければ幸いです。

(取材・文/伊藤達也)

※魚住昭氏の新連載「大衆は神である」は、5月13日(日)より現代ビジネスにて掲載予定です。ご期待ください。