魚住昭が「講談社秘史」を通して近代日本を描く理由

連載直前インタビュー
魚住 昭 プロフィール

残されていた「不都合な歴史」の発見

――そうして入手されたのが、講談社が1959年に編纂した「講談社が歩んだ五十年史」のもとになった、秘蔵資料だったわけですね。

魚住: ええ。詳しくは連載で書きますが、野間清治が創業してからの50年について、社長はもちろん、さまざまな関係者への聞き取りを行った記録が発見されたんです。200字詰の原稿用紙に書かれた速記録の束が、合本にしてなんと146冊、講談社本社の奥から出てきた。この1年はこの資料を読み続け、大事な部分はPCに打ち込んだりして資料を整理していました。しんどい一方で楽しかったですね。

 

そこに描かれているのは、講談社にとって都合の良い話ばかりではありません。しかし、それもきちんと書いていきたいと思っています。初代・野間清治、二代目・恒、三代目・左衛、四代目・省一と続く講談社創設50年までの経営者の歴史、そして現在に至る講談社の歩みを描きながら、オーバーラップする日本の近代史を書いていきたい。タイムラインを同じくする歴史的な登場人物についても追っていきたいと思っています。

[写真]「戦争中の編集について」と題された五十年史の原資料。最終的には社史に含まれていない歴史まで赤裸々に語られている。「戦争中の編集について」と題された五十年史の原資料。最終的には社史に含まれていない歴史まで赤裸々に語られている。

それにしても、この秘蔵の資料を読み返すたびに、感じることがあります。それは、記録を残すということの重要性を、この五十年史を編んだ当時の講談社の社員たちが、非常に強く意識していたのだ、ということです。ひるがえって、現在の日本社会を見ると、財務省の森友文書、防衛省のイラク派遣日報といった、公文書の改竄や破棄の問題がニュースになっていますよね。

五十年史には、講談社の暗い歴史までが、赤裸々に書かれています。都合が悪いことも、社長をはじめとしたインタビューをそのまま残している。そして、社史という形では、まとめられていない聞き取りの記録も、きちんと残されていた。忖度なく、とにかくシンプルに、「資料を残そう」という歴史的な態度があります。これは、編纂時の社長、四代目の野間省一のえらいところでもあると思いますね。

出版社にとって本を売ることはもちろん商業的な意味を持つけれど、その仕事には公共性がある。歴史に対して責任を持たなければいけない――。だからこそ自分たちの明暗をそのまま書き残している。

あまりここで先走りたくはないのですが、講談社についていえば、やはり最大の責任は「戦争」への協力です。これも連載の中で詳らかにしたいと思いますが、陸軍との癒着から目を逸らすことはできません。戦時中、およそ戦争責任がないといえるメディアはありませんでした。イヤイヤか、喜んで参加していたかの違いくらいで、完全に無実と言える人はいないでしょう。

だからこそ、「戦争責任」を追及するよりも、いかに「戦後責任」を果たしたか、あるいは果たされなかったのかに着目したい。つまり、戦後、自分たちの誤ちをいかに把握したか。そして、二度と同じことを繰り返さないために、どう対策し、反省したのか。これは出版社だけの問題ではなく、書き手であれば誰しもが、一人ひとり考えるべきことだと思います。

そして、その体験をいかに受け継いでいくか。そのためにも、書いて残すことが大切なのです。五十年史の編纂事業は、一つの方法だったのではないでしょうか。