鉄人・衣笠が生前語っていた「山本浩二との本当の関係」

「絶対、競っちゃいけない」

ライバル、ではなかった

広島カープは1970年代中盤から90年代前半にかけて黄金時代を築きます。その中心が4月23日、上行結腸がんのため71歳で死去した衣笠祥雄さんと“ミスター赤ヘル”と呼ばれた山本浩二さんであったことは言を俟ちません。「両雄並び立たず」ということわざがありますが、「並び立った」ことこそがカープの強さの源泉でした。

私が知る限りにおいて、衣笠さんは山本さんに対し、「ライバル」という言葉を一切用いませんでした。というより意識的に避けていたような印象があります。

亡くなる10日ほど前、『昭和プロ野球の裏側』(廣済堂新書)という新書が書店に並びました。衣笠さんと“盟友”江夏豊さんとの対談集で私が司会を引き受けました。その中に、次のようなくだりがあります。

 

衣笠 (浩二とは)絶対、競っちゃいけない。汽車のレールと一緒で交わることがないのよ、性格も違うし。だけど、浩二は本当に渡し船に乗って、あの県営球場へ行ってカープを応援していたヤツなの。ここのところの基本は忘れちゃダメなの。あれだけは、やっぱり僕はどうやっても勝てない部分。彼は広島生まれで広島育ちの生粋のカープファンなの。僕は京都から来て18歳からしか広島を知らないんだから。

二宮 往年のスター選手、小鶴誠さんが最後に広島に移籍したときも見に行ったって、山本浩二さんから聞いたことがあります。

衣笠 そう。だから、彼は根っからのカープファン。そこのところを踏み込んでしまうと、もめるよね。そこだけは本当にそう思っていた。

むしろ、相手に対するライバル意識は当初、山本さんの方が強かったかもしれません。山本さんが法大を出て広島に入団したのは1969年ですが、衣笠さんは前年の68年に21本塁打をマークしています。山本さんの目に同級生の存在は輝いて見えたはずです。