平成で膨らんだ見えない暗闇
いま、「平成」と呼ばれる時代が終わろうとしているが、この時代は私が子どもから大人になった時代であり、その過程で様々な困難に直面した時代だった。自分がその苦しみの最中にいた頃はよくわかっていなかったが、このようにデータを振り返ってみてわかることは、この平成という時代が「自分と同じような苦しみを抱えた人たちがどんどん増えていく時代」だった、ということである。
自分が抱えていた様々な「暗闇」は、決して私一人のものであるだけでなく、同時にこの社会で見えないうちに進んでいた大きな変化の徴でもあったのではないだろうかだ。
この度、私が上梓した『暗闇でも走る』は、これらの社会問題の変化や、困難な中でも道を拓く方法を、34歳の私自身の経験を通して描いた。私自身、子ども・若者をめぐるあらゆる社会問題の当事者だった。
そして、様々な社会問題を経験しながら、それを乗り越えられたのは、全て「偶然」だった。偶然合格できた大学、そこで出会った人たち、偶然あったビジネスコンテスト……。そのどれかが欠けていても、私は暗闇から脱することができなかったと思う。

隣の人が「暗闇」を抱える時代
私が経験してきた様々な困難の多くは、当時は大きな社会問題として認識されていなかったが、今は徐々に「社会問題」としてニュースで報道されるようになった。時代が変化し、当時の私と同じような経験をする子ども・若者は少しずつ増加していったのだ。
一方で、普通に生活しているだけでは、彼ら・彼女らの姿はなかなか見えてこない。発展途上国のようにスラムで密集して生活しているわけではなく、どこにいるのか分からない。電車の中でも、喫茶店の中でも、隣の席の人が「暗闇」を抱えているかもしれない、そういう時代に私たちは生きている。「暗闇」は一人ひとりの内面に点在しており、しかも外からは見えづらいのだ。
加えて、社会問題の「元当事者」たちから、苦しかった当時の悲しみや苦しみが発信されることは少ない。
なぜ学校や会社に行けないのか?
なぜ非行に走ってしまうのか?
どうしてひきこもるのか?
何が苦しいのか?
それぞれの問題を当事者として経験したことがない人には理解しがたい行動や感情があるように思う。『暗闇でも走る』は徹底してこの「当事者の視点」を大事にしながら書いた。社会問題に直面しているこの連載記事や書籍を通じて、当事者の感情や直面しているハードルのリアル、私が自分の暗闇とどう向き合い、どう付き合ってきたか、を自分の経験をもとに少しでもお伝えできたらと思っている。