高校時代通った藤沢 撮影:藤原慶

「じつはうちの子、学校に行ってません」が普通の時代になってきた

だから不登校中退者専門進学塾を作った

現在、若者のひきこもりは約54万人。小中学校の不登校児は13万人と増加傾向にあります。基礎学力や稼げる技術を身につけないまま大人になれば、人生の選択肢が狭くなり、さらにひきこもりが長引けば、生活保護受給者となる現実も……。

そこに着目しビジネスを起こした『暗闇でも走る 発達障害・うつ・ひきこもりだった僕が不登校・中退者の進学塾をつくった理由』の著者・安田祐輔さん。

日本初の大規模な、不登校・中退者・発達障害者など困難を抱える子どもや若者の進学塾「キズキ共育塾」を全国に5校展開。なぜ、いまこの塾が多くの人に求められているのか? お話しを伺いました。

バブル前夜に生まれた私の悲劇

私は現在不登校・ひきこもりなどの若者を支援するための事業を行っている。そして実は私自身も、子ども時代から大人になるまで、発達障害やうつ、ひきこもりなど、様々な障害やトラブルを経験した「社会問題の当事者」だ。そんな私が「暗闇」でも走り続けることで、たくさんの偶然に出会い居場所を見つけるストーリーは、拙著『暗闇でも走る』に記した。

私は1983年(昭和58年)生まれ、山を切り拓き開発された横浜のニュータウンで育った。おしゃれなニュータウンを舞台にしたドラマ全盛期のころだ。時代はどこか浮かれていたが、私の不幸はそこから始まった。

父は有名大学出身、大企業勤務。母は大学時代タレントをしていて、卒業後は女子アナになり結婚退職。一見華やかな中流家庭。私が生まれて間もなくバブル景気が始まり、4歳で平成を迎えた。

けれども、9歳でバブルがはじけ、不況がやってきた。大人たちはリストラや就職難で苦労するようになった。一方小学生だった私も「生きていくこと」に必死だった。

 

発達障害(過集中、感覚過敏など)の影響でドンくさかった私は、周りからいじめられていた。家に帰れば、カッとなると手をつけられなくなる父のDVが待っていた。

やがて父は浮気相手との間に子どもをつくり、家に帰ってこなくなったが、そのせいで母は精神を病み、母まで家に帰ってこない日が続いた。大人がいない家の静けさは、物心ついた時から大音量の夫婦喧嘩の中で育ったせいか、逆に不安を増幅させていった。

その後、地獄から逃げ出すように、中学は千葉の全寮制を選んだものの、ここでもいじめられ中退。祖父母宅、父の再婚相手との同居など、住む場所・同居する人を転々と変え、一時は暴走族のパシリのような生活をしていた。高校時代は継母からのいじめにも遭い、家に入れず公園で野宿する日もあった。

人生を変えるため偏差値30から猛勉強

もし普通の家庭だったら、もし普通の親だったらと考えると悲しかった。しかし、高校2年生の秋、ふと考えた。

「生まれた環境のせいにし続けても、状況は何も変わらないのではないか?」

一念発起して大学受験(スタート時は偏差値30くらい)を決意。5年間も机に向かって勉強をしていなかった私は、2年間の猛勉強を経てICU(国際基督教大学)に進学。その後は、順調に人生を歩んでいるつもりだった……。

大学卒業後、就職した大企業を、まさかの4ヵ月で休職。うつ病になってしまったのだ。今になってみると、発達障害の影響が大きかったように思う。その後、ひきこもりになり、布団から体を起こせない生活が1年以上も続いた。最終的には、『暗闇でも走る』に詳しく記したように、どん底から編み出した独自の思考法で、自分の居場所を見つけたのだった。我ながら、あらゆる社会問題を経験してきたと思う。

<私が「当事者」として経験してきた「社会問題」>
 ●発達障害:0歳〜(1983年〜)
 ●両親の不仲・父のDV:3歳〜(1986年ごろ)
 ●ひとり親 14歳〜(1997年〜)
 ●いじめ・中退:〜14歳(1997年ごろ)
 ●不登校:15〜18歳(1998〜2000年ごろ)
 ●うつ病:25歳(2009年/総合商社入社後発症)
 ●ひきこもり:25〜27歳(2009〜2010年)