日本をじわじわ蝕んでいる「静かなる有事」に気づいてますか

2043年、ついにこの国は…
河合 雅司 プロフィール

ただ、こうした数字を漫然と追いかけ、社会の変化を大くくりに把握していたのでは、少子高齢化や人口減少問題の実像はつかめない。ましてや、それが自分の暮らしにどう関わってくるのかを理解できないだろう。

それでは、いつまで経っても真の危機意識が醸成されないではないか。もっと、リアリティーをもって、「未来」を想像する力が求められている

人間というのは〝不都合な真実〟に直面したとき、往々にして見て見ぬふりをするものだ。それどころか、気休めにもならない楽観的なデータをかき集めて、〝不都合な真実〟を否定しようとする人さえ出てくる。

皆さんは、「ダチョウの平和」という言葉をご存じだろうか?

危険が差し迫ると頭を穴の中に突っ込んで現実を見ないようにする様を指した比喩だ(実際のダチョウの習性とは異なるとの指摘もあるようだが)。日々の変化を把握しづらい人口減少問題こそ、この「ダチョウの平和」に陥りがちな難題である。

それは切迫感が乏しいぶん、どこか人ごととなりやすい。何から手を付けてよいのか分からず、現実逃避をしている間にも、状況は時々刻々と悪くなっていく。そして、多くの人がそれを具体的にイメージできたときには、すでに手遅れとなってしまう──。

 

どこかズレている

「ダチョウの平和」ですぐ思い起こすのが、他ならぬ安倍晋三首相の発言である。

2017年10月の総選挙に際して行った記者会見で、少子高齢化を「国難とも呼ぶべき事態」と位置づけ、突如として、増税される消費税の使途変更を宣言した。

国の舵取り役たる総理大臣の言葉は重い。首相の発言を耳にした私は、「ようやく、少子高齢化への対応に本腰で取り組むことにしたのか」と期待を抱かずにはいられなかった。

だが、それが全くの「ぬか喜び」であったことを思い知らされるのに、多くの時間を要しなかった。

安倍首相の口から続けて飛び出した対策が、幼児教育・保育、高等教育の無償化だったからである。「国難」と大上段に構えた割には、スケールがあまりに小さい。スケールの大小だけでなく、「どこかズレている」と感じた人も多かったのではないだろうか。

深刻な少子化にある日本においては、子育て世代が抱える不安を解消しなければならない。だから、教育・保育の無償化について、「全く無意味だ」などというつもりはない。

だがしかし、今後の日本社会では高齢者が激増する一方で、少子化が止まる予兆がない。このままでは勤労世代が大きく減り、社会システムが機能麻痺に陥る。日本という国自体が無くなってしまうことが懸念されるからこそ、「国難」なのである。

その対応には、ダイナミックな社会の作り替えが不可避だ。私が首相に期待したのは、人口が激減する中にあっても「豊かさ」を維持するための方策であり、国民の反発が避けられない不人気な政策に対し、真正面から理解を求める姿であった。

「具体的な変化」に置き換える

「ズレ」は、首相や議員だけでなく、イノベーション(技術革新)や技術開発の現場にも見つかる。少子高齢化に伴う勤労世代の減少対策として、人工知能(AI)やロボットなどに期待が高まっているが、開発者たちは本当に少子高齢社会の先を見据えているだろうか?

その典型が、話題の超高精細映像システム「8K」だ。鮮明な画像で楽しみたいと心待ちにする人も少なくないだろう。「8K」技術そのものに、ケチをつけるつもりは毛頭ない。むしろ、厳しい開発競争に打ち勝った技術者たちの努力には賞賛の拍手を送りたい。

〔Photo〕iStock

ただし、超高齢社会を睨んだとき、追い求めている技術が果たして、超高精細映像システムでよいのかが疑問なのである。今後どんなにクリアな画像を実現したとしても、老眼鏡ではせっかくの性能を楽しめない。

高齢者たちが求めているのは高画質ではなく、むしろ「音」にある。耳が遠くなり、ボリュームを大きくしてテレビを見ている人は多い。聞き取りやすい小型スピーカーを搭載したテレビを安く手に入れたいという声は少なくないはずだ。

技術開発とは、社会の課題克服のためにある。ならば、開発者たちは高齢者のニーズをもっと聞くべきであろう。