2018.04.29
# 経済・財政

「勲章」を受け取ることを拒んだ人たちの意外な理由

春の叙勲の日に知っておきたいこと
栗原 俊雄 プロフィール

大虐殺の指揮官も受賞

「え! こんな人が勲章をもらってるの!」というケースもある。その筆頭は、第二次世界大戦の航空部隊司令官、カーチス・ルメイ(1906~90)だ。1945年3月10日、東京への大空襲で10万人が殺された作戦の指揮者である。

戦争末期、日本本土を爆撃した戦略爆撃機B29は、もともとは<昼間・高高度・軍事施設を狙う精密爆撃>に使われていた。だが、天候などのため米軍が期待する成果は挙がらなかった。

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ルメイは日本本土の上空からの偵察写真をみて、「ヨーロッパで襲われたような低高度用の対空火器がないことに気がついた。そこで、低空を飛べば燃料消費が少なく、その分爆弾を多く積め、とりわけ夜間なら成功の確立が高い、理にかなった作戦が思い浮かんだ」(『超・空の要塞 B29』)。こうして、<夜間・低空・無差別爆撃>へと戦術が転換された。

 

ルメイが指揮するB29およそ300機は、主に隅田川沿岸の下町地帯を襲い、前述のように10万人が死んだ。ルメイは戦後回顧している「焼夷弾空襲での民間人の死傷者を思うと、私は幸せな気分にはなれなかったが、とりわけ心配していたわけでもなかった。(大量殺傷が)私の決心をなんら鈍らせなかったのは、フィリピンなどで捕虜になったアメリカ人―民間人と軍人の両方―を、日本人がどんなふうに扱ったのか知っていたからだ」(前掲書)。

ルメイの作戦は、非戦闘員を巻き込んだ大虐殺である。被害者や遺族が「鬼畜」「皆殺しのルメイ」などと呼んだのは自然だろう。ルメイ自身、「もし我々が負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう」と振り返っている。

我らが日本政府は1964年、ルメイに勲一等旭日大綬章を贈った。日本人なら重要閣僚クラスが贈られるもので、庶民には縁がない。「航空自衛隊の育成ならびに日米両国の親善関係に終始献身的な労力と積極的な熱意とをもって尽力した」ということが理由だった。

時の首相は佐藤栄作である。授賞の理由がその通りだったとしても、あの東京大空襲、大虐殺の歴史を消し去ることにはならない目もくらむような失政だったと、筆者は思う。

勲章は社会のエネルギー

過去に勲章を揶揄したり、批判したりしながら、のち叙勲された者もいる。作家の永井荷風(1879~1959)はその一人だ。日記『断腸亭日乗』(1940年10月8日)にこうある。「鰻は万人悉くうまいと思って食うものとなさば大なる謬(あやま)りなり。勲章は誰しも欲しがるものとなさば更に大なる謬なり」。一般的にはごちそうとされるウナギを食べない人もいる。同じように、だれでも勲章をほしがると思ったら大間違いだ。そういう意味だ。

ところが1952年11月3日、文化勲章を受章した。借り物のモーニングを着て出席した授章式当日の様子を、荷風は日記『断腸亭日乗』に記している。天皇臨席のもと、吉田茂首相から勲章を受けた。

さて勲章は長く、勲一~勲八等など数字による等級区別には批判が多かった。たとえば「なぜ自分が勲三等で、あいつが勲二等なんだ」といった不満も生まれやすかったし、「国家による国民のランク付け」と見られるような等級区別でもあった。

こうした批判に対して政府は2003年に制度改革を行い、数字による等級区別は廃止した。代わりに旭日章と瑞宝章はそれぞれ大綬章▽重光章▽中綬章▽小綬章▽双光章▽単光章の6等級となった。数字ではなくなったが、大中小や双と単など、どの勲章がどれより上位でどれより下位か、容易に分かることには変わりない。

ともあれ、勲章が日本からなくなることはないだろう。そして勲章が個人ないし組織のエネルギーになり、それが社会の向上に役立つとするならば、勲章は社会にとって有益なものなのかも知れない。

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