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「勲章」を受け取ることを拒んだ人たちの意外な理由

春の叙勲の日に知っておきたいこと

はじまりはいつから?

日本では毎年春と秋、各界の人々に勲章がおくられる(叙勲)。それぞれおよそ4000人。筆者のように勲章には縁の遠い庶民にとっても、マスコミの報道などでおなじみだ。

勲章は、国家や公共に対して功労があったと認められた者を表彰し、国が授ける記章だ。11~13世紀、イスラム教徒と戦った十字軍が起源とされる。日本のでは幕末の1867年、パリ万博に参加していた薩摩藩が「薩摩琉球国勲章」をフランス政府高官らに贈ったのが始めである。

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明治政府は1875年、「勲章従軍記章制定ノ件」(太政官布告第54号)を公布。現在の旭日章の基となり勲章制度が始まった。翌年には賞勲事務局が設置され、さらに賞勲局と改称された。1888年には、戦功重視の旭日章を補完するための瑞宝章と、女性を対象とした宝冠章が設けられた。また最高勲章である大勲位菊花章頸飾も、この年に制定された。

 

政府が矢継ぎ早に叙勲制度を整えた理由の一つが、外交であった。そもそも薩摩藩が前述の勲章を作ったのは、江戸幕府から独立した存在であることを外国に示す狙いがあった。開国後はさらに、欧米を追いかけ肩を並べるためにも国際標準としての叙勲は不可欠であった。昔も今も、勲章を贈り合うのは外交の重要な一環である。

もちろん、為政者にとっては国民の国家への帰属意識を強めるためにも勲章は必要だった。旭日、瑞宝、宝冠の三章は勲一等旭日大綬章▽勲二等旭日重光章などと、勲1~8等と数字で等級が別れていた。さらに1890年、軍人だけを対象とする金鵄(きんし)勲章(功1~7級)が設けられた。また、1937年には文化勲章が制定された。

叙勲は官、ことに軍人偏重で行われ、民間人は軽視されていた。三菱財閥を創り上げた岩崎弥太郎が勲四等旭日小綬章に止まったことからも、それは明らかだろう。

勲章授与までの流れは?

1945年の敗戦後は、GHQの圧力で金鵄勲章が廃止。他の勲章も生存者叙勲が停止された。ただ政界から、1948年の片山哲内閣以降、その復活を望む声が高まった。いくつかの内閣が立法による復活を目指したが、社会党など野党の強い反発で実現しなかった。

他の法案がそうであったように、数の力で成立させることも可能だった。しかし政府はそれができなかった。事柄の性質上、すくなからぬ反対を押し切って復活させるものではない、という判断が働いたと見られる。

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結局、立法はかなわなかった。1963年、池田勇人内閣の閣議決定で復活。今日に至るまで、勲章には根拠法がない。いまだに明治時代の勅令や太政官布告などで運用されているのだ。