「労働時間は短い方がいいか」問題につきまとう、残業代という「魔物」

真の働き方改革に向けて
大内 伸哉 プロフィール

高度プロフェッショナル制度と裁量労働制

残業代は、以上とは違った意味でも人びとを惑わせる魔物となっている。

最近はあまり耳にしなくなったが「ホワイトカラー・エグゼンプション」(WCE)という制度がある。

第1次安倍政権では、アメリカに存在するこの制度の日本版(自己管理型労働制)を作ろうとして失敗したために、「高度プロフェッショナル制度」(高プロ)と名称を改めて、もう一度導入しようとしている。

WCEや高プロは、「残業代ゼロ」法と呼ばれたりするように、残業代のない労働者を作ろうというものだ。残業をしているのに残業代がないのは、サービス残業と同じのようものだと早合点して、これに反対する人も少なくない。

しかしそこには大きな誤解がある。働き方のなかには、法で労働時間を規制することになじまないものがあることを見落としているのだ。

〔PHOTO〕iStock

現在の法律をみても、こうした働き方の例がある。それが裁量労働制だ。

これには専門業務型と企画業務型という二つのタイプがあるが、両者に共通するのは、労働時間が、実際に働いた時間ではなく、労働者の代表と使用者との合意で決めてしまうというものだ(「みなし労働時間」という)。

どうして、そうした制度があるかというと、裁量労働制においては、業務遂行の手段や時間配分について企業が具体的な指示をせず、大幅に労働者の裁量にゆだねられているからだ。

 

本来、労働時間は、企業に具体的な指示を受けて拘束的に働いている時間をカウントするものだ。

そうした拘束的な時間が1日8時間、1週40時間を超えて長時間になると、労働者の健康に支障が生じるので、企業に残業代というペナルティを払わせ、労働時間が長くならないように誘導しているのだ。

裁量労働制のように本人次第で決まる労働時間がたとえ長くなったとしても、それに企業にペナルティを払わせるのは筋が通らない。

つまり裁量労働制における「みなし労働時間」は、残業代をゼロにするものではなく、本人次第の労働時間であるため残業という概念があてはまらない働き方に合わせたものとみるべきなのだ。

もちろん本人次第といっても、膨大な業務を与えられたようなときには過労の懸念が出てくるが、その場合には、裁量労働制の適用を拒否すればよいのだ(とくに企画業務型では、労働者本人の同意が必要だし、裁量労働制でも、少なくとも過半数代表の同意は必要だ)。