「天才」と呼ばれたアスリートたちのその後の人生

受付嬢になっていた「ポスト浅田真央」
週刊現代 プロフィール

磯貝洋光さん(48歳)は間違いなくサッカー界の天才少年だった。中学時代はU-17日本代表のエースストライカー。名門・帝京高校でも1年生から10番を背負った。

東海大学在学中に日本代表に選ばれ、Jリーグのほぼ全チームからオファーが舞い込み、ガンバ大阪では主力選手として活躍した。

だが、29歳の若さで現役を引退する。磯貝さんはこう明かす。

「監督の意にそぐわなかったので使われない日々が続いた。無理やり監督のスタイルに合わせてサッカーを続けるよりも、自分の人生を生きたいと思った。それに足も負傷していたし、俺はサッカーを十分楽しめたという思いもありました」

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引退後はプロゴルファーを目指して活動したが、まだプロテストには合格していない。体重は現役時代よりも40kg近く増え、100kgを超えた。

「ゴルフのトレーニングは今も続けているし、子どもたちにサッカーも教えている。

言ってみれば、何もかも中途半端かもしれない。3年前から大工の仕事も不定期でやっています。でもね、人生の前半は、サッカーの神様に愛されて、後半は好きなことがやれている。

子どもたちへの指導に携わっているのは、サッカーが自分をここまで成長させてくれたという感謝から。これから?『俺、今日から変わります』と言いたくなる綺麗な女性と出会いたいね(笑)」

 

大阪・東大阪市にある「麺屋こころ 長瀬店」で店長を務める多井清人さん(38歳)は高校野球ファンなら知らない人がいない天才打者だった。

小学6年生のときには少年野球チームで4打席連続本塁打を記録。中学時代はボーイズリーグの日本選抜代表として米国遠征を経験した。

当時、甲子園出場の常連だった大阪・上宮高校に入学すると、1年生の秋からクリーンナップ。3年生のときには4番打者として春の選抜で、甲子園で2試合連続本塁打を放った。高校通算33本塁打。多井さんが言う。

「当時はホームランしか狙っていなかったですから。2年のときに夏の予選では、日生球場で打球がバックスクリーンを超えた。記者の方に、『あのバックスクリーンを超えたのはおまえか、(元近鉄の)ブライアントだけや』と言われたことを覚えています」

「私の人生の財産」

同世代には井川慶(元阪神)や石原慶幸(広島)らがいるが、多井は彼らに劣らぬ超高校級選手だった。高校の同級生3人がプロ入りし、当然、多井もそうなるかと思われていたが、法政大学への進学を決断した。

「親が『プロはあかん、大学に行け』。そのほうがプロに行くにしても条件がよくなるからと。

ただ高校時代は自分が一番打てる自信があったのですが、早稲田大の鳥谷敬(阪神)らを見て、だんだんとそう思えなくなりました。しかもコーチと意見がぶつかり、試合にも出られなくなったんです」

だが、プロ入りの夢を捨てることはできず、卒業後は日本生命の野球部で野球を続ける。

「社会人2年目にプロから声がかかるという話があったんですが、結局ダメでした。そこで諦めましたね。

野球をやめた後、日生で1年間働いて、ラーメン屋のオーナーと知り合い、いまの仕事を始めました。苦労は腰が痛くなることくらい。それより、お客さんから『おいしかった』と言ってもらえると、やっぱり嬉しい。

将来的な目標は、バカにされるかもしれませんけど、年収5億円です。かつてのチームメイトには『プロに行っていたら年俸5億円もらっていたかもしれないやろ』って言っています。

この仕事を始めて、あらためて野球をやっていてよかったと思えるようになりました。いろいろな人と野球の話で盛り上がれますから」