「人生は遺伝に縛られている」という残酷な現実は悲観すべき事なのか

拒絶する人に伝えたいこと
安藤 寿康 プロフィール

遺伝を押し殺す環境こそ改変すべき

男女の違いは遺伝的なものだ。

そこに男性優位の価値観を当てはめられて、不条理な差別が生まれているとすれば(もちろん女性のほうが不利になることが多いが、男性だってそのためにけっこう無理を強いられているのであります)、自分を女に(あるいは男に)生まれさせた遺伝を恨むのは筋違いであり、その遺伝から来る不条理を作り出している環境(社会の価値観や制度)の制約を打破すべきは明らかだろう。

歴史は長い時間をかけてそれを実現させようと努力している。このことを主張し続ける正当性と権利を与えてくれるのは、それが「遺伝」によるというのっぴきならない根拠があるからである。

 

同じように、がんばって勉強しても成績が上がらないのも遺伝である。そこで恨むべきは自分の遺伝的素質ではなく、勉強ができないことがその人の人物評価や将来の可能性まで規定してしまう社会環境のほうである。

がんばったってどうせメッキのように剥がれ落ち、がんばったという思い出しか残らない一斉テストのための勉強を強いる教育環境に疑問を投げかけ(ちなみに遺伝的才能のある人は同じように勉強しても剥がれ落ちないし、思い出に終わらずその後もちゃんとその知識を生かすことができる。

もしあなたの中にやったという思い出だけにとどまらないで、剥がれ落ちずに生きて使われている知識があるとすれば、そこにあなたの遺伝的素質があったからだ)、万人みな異なる遺伝的素質を、一人ひとりがそれぞれに見出し、それを生かすために努力することこそが自分のためにも社会のためにもなる、そんな学習ができる教育環境、社会環境に作り変えてゆくべきだと主張する根拠を与えてくれるのも遺伝である。

一人ひとりが、そのように環境によってブレることのない確固とした遺伝的アイデンティティーをもって一生を生きている以上、その遺伝を押し殺す環境こそ改変すべきなのである。