躁状態でひらめいたこと

ところが躁にかわると、自分がなんでもできると思っちゃうんです。僕が躁状態だったある日、家の2階で見慣れない袋を見つけました。そこには7枚の写真が入っていました。すべて僕が関わった父撮影の写真プリントでした。

初めて僕がプリントした父の写真、初めて父に認められた写真……すべて曰く付きの7枚でした。それを見つけて、「これは父からぼくへのお別れの写真かもしれない」と感じたんです。気分はハイになっていますから、「よし、おやじが言ったことを絶対に叶えてやる、叶えるまで死ねない!」なんて決意したわけです。「200歳まで生きられるかも!」なんて本気で思ったりして。これは躁状態だったから思えたことですよね。

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僕はうつでテンションが下がってから躁に移行していって、ハイテンションの60~70%くらいのときに頭がすごく働くんです。「理論で進めば結果が出るはずなのに出ない」と苦しんでいる時期に、ちょうどそのタイミングと重なり、あることがパッとひらめいた。頭が覚醒して、普段なら見逃すことに気づいたんです。

でもそこでひらめいたことを今実践すると失敗すると思い、メモをとって保管して、平常に戻った時に読み返して試してみました。それで今の技術が完成したと言っても、おかしくないんです。躁うつを発症してから4回目くらいの発病だったでしょうか。

左が修復前、右が修復後の写真。戦時中の写真だが、左側の汚れも落ちて蘇った。発病を期にこの技術が完成したのだという 

深刻に考えすぎてはダメ

躁うつは深刻に考えすぎてはいけませんね。がんじがらめになっちゃう人が多いのではないでしょうか。その点ぼくはもともと抜けているから、あんまり気にしなかったんですよね。人間大らかに、です。今も月に一度通院し、投薬して暮らしていますが、病院の先生にも「村林さんはぼくよりも薬に詳しいから」なんて笑われます。

妻に出会ったときはすでに発症していましたが、「私が支えてあげるから大丈夫」と言われました。好きなものが一緒なんですよ。それはベイスターズ。僕も大洋ホエールズのころからのファンで、おふくろもそう。初デートは横浜球場だったくらいです。娘は上が32、下が26ですが、二人ともベイスターズファンです。

技術を身につけるには、しつこくつづけること、根気よく諦めないことしかないですよね。そうでないと身につくものも身につかないです。評価されないことに不満を持つこともあるかもしれません。実際、僕もこの技術が完成しても「大手フィルムメーカーや大学でできなかったことを一人でできるはずはない」とまったく無視されていましたから。でも諦めずに続けていたから、こうして賞をいただくこともできたんですよね。

実はね、特許を取ってからまた進歩していまして、さらに修復のレベルは上がっているんです。でもそれは特許取らないの。特許を取るというのは技術を教えることにもなるから、それは誰かが研究すればいいやと思っているんです。

続けられる理由、それは写真が好きだからです。これでいいという終わりはないんです。自分でも作品を作って、賞もいただいて、でも終わりはないです。欲求不満のまま死んでいくんだと思いますよ。

大好きな父と一緒に好きなことを続けてきた歴史、お互いの能力を認め合い、病気のまま受け入れ、愛し合ってきた家族の存在、写真を愛し、持っている人たちの想いを叶えたいという気持ち、そして、自らの技術を高め続けたいという強い思い。小さな町の研究室から誕生した村林さんの偉業は、人として地に足のついた生き方の上に立っていた。

「この写真は修復したいと思いながら、もっと技術が上がってからにしようとなかなか手をつけられないんです」と村林さんが語るのは、ご両親の結婚式の写真だ 撮影/齋藤浩