消えた画像が浮かび上がる

自宅の1階に、父・忠さんが作ったという暗室がある。45年以上経っているこの暗室が、村林さんの研究室だ。白衣に着替えると、手際よく修復作業を進めていく。硬膜液→漂泊液→清浄液→現像液→停止液の濃度を自ら決めてつけていくが、「こうして簡単にやっているように見えても、けっこう技術がいるんですよ」と村林さんは笑う。

撮影したカメラマンが「45年経っているとは思えないくらい臭いがまったくない!」と驚愕した暗室。「作業後にさっときれいにするさまは寿司職人のよう」とも 撮影/齋藤浩

劣化して黄色い所はたいていが硫黄によるものだ。硫黄のように他のものがついて見えにくくなっているものを取り除く作業を最初に行う。漂白剤につけると画像が白くなる。一見消えたように見えるとさすがにどっきりするが、「Ag₂SにHclが反応してSが取れ、Agclに置き換わるんです」。Agclは白いので、白い紙に白で描かれているから見えなくなっているだけなのである。

そして最後に現像液につけると、一度消えた画像が、以前よりくっきりと浮かび上がってくる。

一度は真っ白になった写真の画像が…撮影/齋藤浩
浮かび上がってくる 撮影/齋藤浩

薬剤の順番ややり方は、昔から使っている専門書を読みながら、試行錯誤して生みだしました。父が福原さんからいただいたものを僕も使っているので、かなりの年代物ですよ。大手のフィルムメーカーの研究者や大学の研究室でできなかったのは、修復技術は化学的知識と写真の技術と両方が必要だったからだと思います。

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社会人3年での発症

ぼくは大学3年までで単位をとってしまったので、あと1年は資生堂のアシスタントをしたり、製版会社や現像所で働いたり、今でいうインターンのようなことをしていました。そして大手印刷会社に内定をいただいて入社したんですが、会社に入って1年4カ月くらいで胃潰瘍になってしまって。病院にいったらストレスだと。それで思い切って仕事をやめ、別の写真の仕事をしていました。

躁うつを発症したのは、その1年半くらい後、25歳か26歳の時です。最初の時はなんでこんなに疲れるんだろう? と思ったんですね。でも実は父も同じ病気だったので、ああ、うつ病かと。

躁うつは、うつ状態になって、躁状態になって、何もない時期があるんです。父の場合は几帳面に7年ごとに発症していたようです。元気なときは人の3倍働いていたので、うつのときはずっと寝ていました。それでも許されるくらい働いていたんです。

うつのときはダーンとテンションが下がるんですね。そうなるともうどうにもならないから、布団をかぶって寝ているしかない。長い時は1ヵ月半から2ヵ月続くんです。体が重くて起きられない。食事をしても味がしない。感覚がおかしくなる。最初のときは驚きましたが、1回なってみて、この病気は「布団かぶって寝てればいい」と思うしかなく、躁のときは「酔っぱらっていると思うしかない」と学びました

幸い父でみんな躁うつのことを知っていたから、病気で責められたことは一度もありません。「うつ病なんて精神が風邪ひいただけだ」なんて言ってくれて救われました。ただ当時は医療が進んでいなくて、今では禁止されている電気ショックもやりましたよ。9ヵ月の間に7回しました。これ、バットで頭を殴られたようなショックがあるんですよ。この影響だと思うんですけど、僕中学生くらいの時の記憶が抜け落ちています。